本日の聖句を読むと、私たちは偽善の滑稽さを笑いたくなります。けれど神様を見上げ祈る時は、全ての人間にとって最も罪を犯しやすい瞬間なのです。例えば、神に喜ばれている「良い子の自分」を期待したとたん、神は人間の引き立て役におとしめられます。そこで主イエスは、この自己執着・自己崇拝が神様の前まで私たちにく…
山上の説教は主イエスが弟子 (キリスト者) たちに向かって話された教えです。この箇所を読むと、主イエスが心を砕いて、イエスの弟子として生きる人を育てておられる様子が伝わってきます。 さて6章で主イエスは、1節から18節で、神との特別な交わりに入れていただいている神の国の民、神の子としての生き方…
2017年のイースター・復活祭は4月16日(日)で、神様が十字架で死んだ主イエスを甦らせてくださったことをお祝いします。キリスト教が大切にしている祝日は3つあるのですが、一般に知られているのはクリスマスでしょう。後の二つは、イースターと教会の誕生を記念するペンテコステです。 コリントの信徒への…
山の上でこれまで弟子たちに向かって語られた主イエスの言葉(5:3~16)を簡単にまとめるとこうなります。 「あなたたちキリスト者は神の民・天国の市民です。だから、あなたたちの特徴である心の貧しさや義への飢え渇きが他の人に分かるように生活しなさい。他の人々の心が神へ向かい、神に栄光を帰す者へとな…
主イエスはここで「あなたがたは地の塩である」「あなたがたは世の光である」と言っておられます。今までは「心の貧しい人は幸いだ」「義に飢え渇く人は幸いだ」と、漠然とした印象を与える表現でした。それがここでは「あなたがたは」と言ってくださっています。主イエスは今、あらゆる時代のキリスト者に向かって「あなた…
マタイによる福音書の5章11~12節は、3節から始まった「〇〇の人は幸い」という表現を用いて語られる最後の教えです。 今、主イエスは目の前にいる弟子たちを見つめ「さぁ、報いが用意されているのだから喜びの声をあげなさい」と促すように「あなたがたは幸いである」と語っておられます。 英国の児童…
教会は11月27日の日曜日からアドヴェント(待降節)に入り、教会の新しい一年が始まりました。ゲーム好きの若者にとっては、スマートフォンで遊べるゲームアプリですが、西方教会(ローマカトリック教会やプロテスタントの福音主義教会)にとっては、イエス・キリストの降誕を待ち望む季節です。 クリスマスにみ…
「心の清い人々は、幸いである、/その人たちは神を見る」 キリスト教信仰にとって心はその人そのものを表します。そして人には、善を愛し神を愛したいという思いと一緒に、悪を好み悪を為したいという思いもあるため、生まれながらに心の清い人はいません。 人間の現実を見据える聖書は、人間による最初の罪…
「憐れみ深い人々は、幸いである、/その人たちは憐れみを受ける」 ある学者が、「恵み」と比べると「憐れみ深い」の意味を良く理解できると言いました。「恵みは特に罪の中にいる人と関連があり、憐れみは特に悲惨の中にいる人と関連がある」からだそうです。私はこれを「恵みは罪全体を見るが、憐れみは罪の悲惨な…
「悲しむ人々は、幸いである、その人たちは慰められる」と言われている悲しみを文字どおりに取ると、喪に服している人々の悲しみだということです。 「死が戸を叩き不幸が家族を襲うとき、それとは全く違う神の支配による幸いが戸口に立っている。愛する者の死によって心を抑えつけられるような苦しみに遭い心に傷を…
2025-11-2