復活節第4主日 主題「イエスは復活また命」
ネヘミヤ2:1−18/Ⅰコリント12:3−13/ヨハネ11:17−27/詩編136:1−9
11日の説教で、「聖書のことばというのは特定の時代に特定の人に語られてこそ力ある言葉」だと言いました。ということはイエスが死んで既に二千年以上経っている今のわたしたちには、聖書のことばに力がないのでしょうか。いや、そうではないところが聖書の面白さですよね。
そもそもわたしたちが手にしている「聖書」が「聖書」である根拠は何だと思いますか。先頃60年ぶりに死海文書が発見されたとニュースになりました。約80ほどのちぎれた羊皮紙で、中には「文書」と呼べる量のものもあったようです。旧約聖書ゼカリヤ書やナホム書の写本と思われ、紀元前1世紀の終わり頃のもので、洞窟に運ばれたときには文書が書かれてから100年は経過していたようだと報道されました。
どうしてそんな紙の欠片が世界中で報道されるシロモノなのかというと、わたしたちが手にしている「聖書」にはオリジナルがないからです。こうやって見つかるのはすべて「写本」でオリジナルではありません。しかも、例えばイエスについての資料、福音書などは、イエスが話していたであろうアラム語からギリシャ語に訳されたものです。今回発見された死海文書もギリシャ語で書かれていたようです。ということは、イエスの言葉がギリシャ語への翻訳者たちによって既に解釈されたものとなっていると言うことでしょう。イエスの真正の言葉ではなく、その言葉がギリシャ語を話す人たちによって翻訳され解釈され、イエスの言葉だとして流通しているわけで、たとえ聖書のオリジナルが発見されたとしてもそれはイエスのオリジナルではないということですよね。
そう考えると、イエスの言葉は今でも解釈され続けているということになります。そしてその解釈は当然ながら時代の制約を受けるわけです。「このイエスの言葉はこういう意味ですよ」というような解釈が既に解釈するものの生きている時代の制約を受けてしまっている。となれば、だから意味が薄れるのではなくて逆にだから今も生きた言葉になり得る、力ある言葉になり得る、ということでしょう。
そういうイエスの言葉の中でも、今日冒頭で引用した言葉は文字通り力のある言葉です。「イエスは言われた。「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない。このことを信じるか。」」(ヨハネ11:25)。しかしこれがわたしたちに向けられたとき、わたしたちはどう思うでしょうか。「死んでも生きる」「わたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない」。
マルタが特別理解が悪かったとか、想像力が欠如していたわけではないのです。「終わりの日の復活の時に復活することは存じております」(同24)と、大切なことはちゃんとわかっている。だけど、愛する兄弟の死に直面して、しかもそれから4日も経ている。それは「死」が「終わり」を完全に司っている現実に覆われているのです。わたしたちにとっても「死」は重い問いを投げかけます。わたしたちだって死んだらお終い、何もかも終わると思うからです。
でも一方で、死んでもそれで終わりにならない交わりがあることも経験上知っています。熊本地震で、あの阿蘇大橋崩落に巻き込まれ、4ヶ月後に両親の執念で漸く発見された大和ひかるさんのことが先日地震5周年で取り上げられていました。ご両親は2年前に現場近くの山の斜面にひかるさんの享年と同じ22本の桜の苗木を植えて、内4本が今年花をつけたのでした。「いまは苗木はそれほど大きくはないですが、いずれ成長して、ここが晃のことを思い出す場になればいいなと思います」と父親が語っていました。「本当は現場に立つことが辛い」とも仰っていました。でも愛する息子の死に直面した夫婦は、その悲しみで終わりにはならなかった。桜の苗木と共に、ひかるさんも生き続ける。そしていつかは両親も癒されて歩き始めることが可能になる。わたしにはそういうふうに見えたのです。
「死」では終わらないこともある。なぜそうなのかはわからないけれども、死者によって生かされるということが現実に起こっているのですね。
イエスの迫りを受けたマルタは「はい、主よ、あなたが世に来られるはずの神の子、メシアであるとわたしは信じております。」(同27)と、改めて信仰を告白します。イエスの力ある言葉によって、新しい命へと導かれた。マルタへのこの招きは今、わたしたちにも向けられているのです。
祈ります。
すべての者の救い主イエスさま。あなたの力強い言葉によって、わたしに再び信仰を取り戻させてください。わたしたちを再び新しい命へと導いてください。そして神さまの救いのご計画に与り、またその働きの一つを担う者としてください。復活の主イエス・キリストの御名によって、まことの神さまに祈ります。アーメン。