四谷新生教会

  • 牧師あいさつ
  • 集会の案内
    • 礼拝案内
  • こどもの教会
    • CS年間スケジュール
    • CSからのお知らせ
  • 今月の説教
  • 教会について
    • 新生会一覧
    • 教会員ブログ
  • アクセス
  • 幼稚園へ
  • Home
  • 今月の説教
  • 「主のきたるを待ち望む」 野田 沢 牧師
2020
12Dec

「主のきたるを待ち望む」 野田 沢 牧師

  • 今月の説教

「主のきたるを待ち望む」
ルカによる福音書 2:8-21

いつもクリスマスの時期になると思わされます。
「よくぞキリスト教というヤツは、この時代まで生き残り、ここまで伝わった
な」…と。
どう考えてもおかしな考えです。神の御子が、「家畜小屋」の人間の残飯受けで
ある「飼い葉桶」に?
その思想は、恣意的な金持ちや権力者と反し、経済力や権力は神と人とに仕え
る為にあるといっている。これほど権力者に都合の悪い思想はありません。
しかし、そのような思想と信仰が世に受け入れられ(本当の意味で世が受け入
れられたかは微妙ですが…)、2000 年を生き残り、いまや世界の隅々にまで聖
書と教会が建てられています。
なぜ、生き残ったのか?広がったのか?・・・イエスの姿勢。「低みに立ち他者を
想う」。だから今まで人々の中に必要とされ、大切に守られてきたのでしょう。
「低みに立ち他者を想う」…この想いを神ご自身が私たちに体現してくださっ
た出来事が、クリスマスの出来事です。飼い葉桶の思想。
「なぜ主は、御子イエスによる私たち一人一人の救い御業の最初を、家畜小屋
と飼い葉おけから始められ、羊飼いたちに伝えられたのか。」
馬小屋で産まれることに、大きな意味があった。のだと。徹頭徹尾、貧しさと
低さを覚え、人に仕え、人のために生きて死ぬのだと。神ご自身が。
そのあり得ないほどの愛は、私たちに新しい価値観をイエス様を通して与えら
れました。それも、馬小屋の中から。
今日のルカ福音書。羊飼いが出てくるのは、ルカのみ。そもそも、クリスマス
の記述はマタイとルカの福音書にしかない。マタイは、博士たちの側面からク
リスマスの心理を描いている。
羊飼いは、今でこそ牧歌的で美しい気がする。しかしよくご存じの通り、当時
は忌み嫌われる人たちだった。夜通しの仕事。危険であり、ユダヤ礼拝にも参
加できず共同体から離され差別されていた。
そしてその羊も自分の羊ではなく、オーナーの羊を預かっている。オーナーか
らすれば、財産である羊より小さな存在。代わりの利く存在。
共同体から離され孤独を生き、闇を生きることを強いられ、人々から忘れられ、
自らも価値などを見いだせない存在。
…私の奉職する青年センターSCF。12/5(土)にクリスマス会を。万全の感染防
止対策と配慮、すべてを尽くして対面で行った。のべ 100 名ほどの参加者が与
えられ本当に感謝だが、キャンセルも 25人。全員集合でリユニオン的な位置
づけのクリスマス会。しかし、コロナ前までいたメンバーや、中心人物だった
メンバーでもここにいない人が多くいた。リモート授業で実家に帰った者、コ
ロナで家族の収入が減り退学して帰郷した者、仕事を失って会いにくくなった
者、コロナの不安におびえる者、考え抜いた中で来ない選択をした者、こんな
コロナの中でクリスマス会を行うことに憤りを持っている者。。。
…私たちは今、いろんな分断を味わっている。教会共同体も同じでしょう。
コロナは悪い。本当に。共同体を壊す。なまじ、愛を語っている共同体を狙い
撃ちにする。
「真っ暗闇に、光の子イエス様が!」「闇が深ければ深いほど、光がよく見える」
などといいますが、このコロナの中で分断を味わっている中で、おいそれと言
えない緊張感と配慮の必要性を感じる。
いや、言えるのだが、その通りだが、伝えるべき人々に伝わらない。直接伝え
たい。共同体からこぼれそうな方々に、今、一番必要としている仲間や、人々
に。
外にも目を向けましょう。社会は傷ついています。キリスト者である私たちは
週に一度、癒しと平安を得ている者たち。先ほども触れましたが、教会の中に
も色んな状況の人がいて、配慮と癒しのメッセージを直接届けないといけない。
しかし、社会はもっと分断と孤独が深い。そして癒しと平安の機会がない。こ
の社会のために、闇の中にあるこの社会のために私たち教会共同体ができるこ
とは何なのか。
「友のために命を捨てること、これ以上に大きな愛はない」ヨハネ 15:13
クリスマスにお生まれ下さった主イエスは、最後の晩餐の席で、弟子たちにこ
うおっしゃって十字架に向かわれました。
これは、私たちに愛をもって友のために死ぬことを求めているのではない。死
ぬほどの愛を持つことを求めているのではない。
ここで主エスが言っているのは「私は明日、友であるあなた方の為に十字架で
死ぬ。しかし、だから、あなた方はその愛を受け取って生きなさい。」と言って
いる。友のため、他者のために命を捨てるのは、イエス様であって我々ではな
い。むしろ、だからこそ、我々はその愛に生きるのだ。と。
…イエスキリストという方は、そういう方。クリスマスとは、そういう方がお
生まれくださった日です。
私たちが、愛をもって痛みを覚える教会共同体の仲間のために、闇深い社会の
ためにできることはなんでしょうか。
寄り添い、支え、許し、愛し、主の平和を作り伝えたい。この分断の社会に。
この教会の中にもある、小さな存在のために祈り働きたい。
キリストは、闇に仕えるためどこまでも低みに立ち、お生まれくださった。そ
の存在を一番に知らされたのは、共同体から離されていた羊飼いであった。そ
して最後には「互いに愛し合うこと。」を掟として自らを十字架に向かわれた。
クリスマスの出来事とは、私たちの「社会と自らの闇の自覚」の上に許された、
まことの慰めの出来事。そして、主の大いなる犠牲によって示された、まこと
の和解の出来事。
今年のクリスマスは特別です。コロナの中にあって、分断があり、離れている
寂しさ、共同体が痛みの中にある、今年のクリスマスは特別です。
他者を愛すること少ない自分、神を愛すること少ない自分、その私たちに与え
られたイエスキリスト、「どこまでもあきらめない、寄り添いと和解の王」の御
降誕を、心より待ち望みたい。
祈り:
主よ、憐れみください。分断の中にある私たちの世界を、社会を、教会共同体
を、私たち一人一人を。
我々の想いを知り、主イエスの御降誕を通して、憐れみを願う祈りにすでにお
応えくださっていたことに感謝します。
私たちの主よ。あなたの愛を受け光を受け、光の子として歩ませてください。
この社会に共同体に愛と光を輝かす業を、小さくとも誠実に果たしてゆく力と
勇気をお与えください。
主の御名によって祈ります。アーメン。

12月13日の礼拝のご案内

12月20日の礼拝のご案内

四谷新生幼稚園が紹介されました
ページ上部へ戻る

四谷新生教会

Yotsuya Shinsei Church

Copyright ©  四谷新生教会 All Rights Reserved.
当ウェブサイトでは Cookie を使用しています。引き続き閲覧する場合、Cookie の使用を承諾したものとみなされます。OKいいえ