2020年8月16日
説教「上を向いて歩こう」
詩編121:1~8
今日の「詩編」121編を読んでいただきました。
「詩編」には「都に上る歌」と題されたものがあります。120編から134編までの15の詩歌ですが、121編もその一つです。これら「都に上る歌」というのは、エルサレムの神殿へ詣でる巡礼の旅に際して歌われたと考えられています。
これら「都に上る歌」は、バビロン捕囚の後、エルサレムへの帰還し、再び巡礼が可能となった際に、捕囚を経験した詩人たちによって万感の想いで歌われたと言われています。背景を踏まえると121編の言葉の重みが深く心に迫ってきます。
簡単にバビロン捕囚について触れます。バビロン捕囚はイスラエル史上、最も深刻な危機で、約60年間の出来事。バビロン捕囚により国や民族、宗教や文化もその全てが消滅する、イスラエルはそんな大きな危機に瀕することになりました。
第一次バビロン捕囚は紀元前597年のこと。10年後の紀元前587年、新バビロニア帝国に再び攻め込まれ、南ユダ王国は滅亡。エルサレムは完全に破壊されます。南ユダ王国を滅亡させられ、同時に多くの住民たちが異教の地バビロンに強制的に移住させられました。拉致されたのは、南ユダ王国の指導者たちや祭司・職人たちで、その数は3000人にも上ったとのこと。彼らは故郷から約800キロも離れたバビロンへと連行され、そこで軟禁の生活を余儀なくされます。
先に申し上げた通り、このバビロン捕囚はイスラエルにとって最大の苦難であり、この経験が罪の認識を深め、信仰を刷新し、礼拝形式にも多大な影響を及ぼしたのです。「詩編」という文書は、バビロン捕囚時、異教の地にあって信仰を保持し、祭儀に頼らずに信仰の継承と育成のために編集が始められたと言われています。
バビロン捕囚の終結は紀元前538年のこと。ペルシア王キュロスによって新バビロニア帝国は滅ぼされ、このキュロス王の寛容政策によりイスラエルの人々は解放されました。こうして捕囚の民たちは順次祖国に復帰していくのです。第一次の捕囚から何と60年の年月が経ており、世代も交代した後のことでした。
「詩編」121編1節に「目を上げて、わたしは山々を仰ぐ。わたしの助けはどこから来るのか」とあります。詩人の切実な祈り、神への実にまっすぐな問いかけです。
エルサレム巡礼の際、人々はごつごつとした岩山を越えて歩みを進めなければならなりませんでした。巡礼の際に避けられない越えるべき山々を見上げて、厳しく辛い巡礼の道筋を思い、山の頂のさらに上にある天をも見据えて、この詩人は「わたしの助けはどこから来るのか」と祈りつつ問い、神からの応えを求めたのです。
ある人は、背後にバビロン捕囚の経験を読んでいます。民たちは、捕囚先のバビロニアの人々から「お前たちの神は無力に死んだ。お前たちは救われない」と言葉を投げつけられのです。どれ程に強く祈り求めても一向に解放されない、そのために信仰を見失う者たちも数多くありました。イスラエルの民たちは、自分たちが捕囚の憂き目に遭っているのは、神ヤハウェがバビロンの神々に敗れさったからだと思い、解放後もその信仰が大きく揺らいでいたのではないかというのです。
疑いや揺らぎを抱いたまま、詩人は「目を上げて、わたしは山々を仰ぐ。わたしの助けはどこから来るのか」と、神ヤハウェに改めて祈り、問うたのでした。
2節にはこうあります。「わたしの助けは来る天地を造られた主のもとから」。これは、エルサレムの祭司が詩人の問いに対して信仰の立ち直りのために答えを与えたものとの読みもあります。また自問自答の形で祈りの内に神の応えを与えられ、「わたしの助けは来る天地を造られた主のもとから」との確信へ詩人は導かれていったのだとの読みもあります。いずれにせよ、1節から2節の間に時間の経過と信仰の深まりを感じ取りたいと思います。これが「詩編」121編の冒頭です。
3節以降の言葉を深く味わうと、さらに深く信仰の確信に満たされていく過程、詩人が神ヤハウェから受けた慰めと励ましをはっきりと認識できるようになっていくさまを聴き取ることができます。簡単に見ておきましょう。
3節4節には、神は私たちの歩みを支え、まどろむことなく守り、支えてくださるとあります。5節6節では、神は私たちを強い日差しから覆う陰であり、昼夜、守ってくださる方だと告白されています。そして7節8節、ここでは神はあらゆる災いから守るため、私たちの一挙手一投足を憶えていてくださると歌われています。
このように見ますと、第一連の1節にあった嘆きを含んだ祈りが、ある時間的経過をもって2節に至り、以降、第二、第三、第四連を通じて、神ヤハウェへの高らかな賛美へと転調する、「詩編」121編はそのような信仰の歌であると理解できます。
さて、121編1節は実に印象的な嘆きをも含んだ祈りの言葉です。「目を上げて、わたしは山々を仰ぐ。わたしの助けはどこから来るのか」。祈りつつ、山々を、その先にある天をも見上げる、そんな詩人の心情を共に推し量りたいと願います。
古くからユダヤ教徒・キリスト教徒は、天を仰いで、目を見開いて声も高らかに祈ったとのこと。このような毅然とした姿勢をもってでした、祈りは神には届かない、そのように言われていました。この詩人もそうした祈りの姿勢を示しています。
私たちはどうでしょうか。私たちは深く想いを込めて祈る時、強く指を組み合わせ、あるいは手をしっかりと合わせて低く俯いて祈ります。それが私たちの祈りのあり方です。嘆きや悲しみを抱えていれば、なおさら低く低く俯くのではないでしょうか。低く俯くという祈りの姿勢は、私たちの信仰のあり様・姿勢を如実に示しています。
過ぐる6月1日(月)午後8時に、日本各地で花火が打ち上げられました。東京でも隅田川や多摩川で花火が上がったとのこと。これは全国の若手花火師による「全国一斉悪疫退散祈願Cheerup!花火プロジェクト」というもので、全国の163もの花火業者が賛同・協力し、苦しむ人々を少しでも励ましたいと行った業でした。
打ち上げ花火の起源は、約300年前の江戸時代享保年間、疫病退散の祈り・願いを込めてのことであったそうです。現在まで継続している隅田川花火大会がそのルーツだそうですが、当時、大飢饉とコレラの流行によって多くの者たちが次々に死んだことを踏まえ、死者を偲び、悪疫退散を願って花火が打ち上げられたのでした。
各地の花火大会が軒並み中止となり、倉庫に眠る花火を用い、打ち上げ花火の原点を憶えて悪疫退散を祈り、俯いている人々を少しでも励ましたいとの業。
発起人のひとり、高崎市の菊屋小幡花火店の5代目・小幡知明さんがインタビューに答えていました。「多くの皆さんに少しでも上を向いてもらいたいという気持ちでした。そして自分を奮い立たせる意味でも、『上を向いて歩こう』という歌のリズムに乗せて、花火を夜空に打ち上げよう、そんな想いでやりました」。実際、高崎市で打ち上げられた花火は、小幡知明さんがその心に響かせている『上を向いて歩こう』という歌のリズムでもって打ち上げられたのでした。
偶々この花火を見ることができた人たちは大喜び。ある女性は「これまで暗い思いで、下ばかり向いて過ごしてきたが、突然の花火に空を見上げて、ああ久しぶりに上を向けたなと思った。励ましをもらって、明日から少しでも上を向いて、前を見て生きていきたい」と語っていました。若手花火師たちの心意気は人々に伝わったのではないでしょうか。花火を見た人々が顔を上げ、上を向いて、希望や励ましを受け取ることができたなら何よりだと思いつつ、私の心に「目を上げて、わたしは山々を仰ぐ。わたしの助けはどこから来るのか」という聖句が響いてきました。
キリスト教主義の学校として知られる女子学院。戦争末期の空襲で校舎が焼けたため、戦後、東京女子大学の教室を借りて再出発します。1948年に新校舎完成、生徒たちはやっと自分たちの学校に通えるようになりました。ところが翌1949年5月10日未明に新校舎は原因不明の火事にて全焼。登校した教員と学生たちは、瓦礫と化し、まだ燻っている新校舎を前に呆然と立ち尽くさざるを得なかったとのこと。
早稲田教会の会員が、文集にその時のことを書いています。少し読みます。“翌朝焼け跡に泣き乍ら集っ
たすけた在校生の前に立たれた当時の院長『山本つち先生』は、聖句『我、山に向かいて目をあぐ、我が扶助はいたすけづこよりきたるや。我が扶助は、天地をつくり給えるエホバより来たる」(詩篇121)を読まれ、一同と共に讃美歌288番(54年版301)を唱われました。その時、天を仰ぎ、微動だにせず、神々しいまでのその御姿に、神様への限りない信仰を感じ、私は深い感動を覚えました。その後の人生で受ける試練の度に、この光景と聖句が私を支え、力を与えてくれました”。
この時の深い感動が、卒業生たちによる讃美歌301番のメロディーのチャイムの贈呈に繋がり、現在も学院の毎朝の礼拝はこのチャイムで始められるとのことです。
絶望的な現実を前に、この院長も深い悲しみ・痛みを抱えていらしたことでしょう。それでも神を信頼し、神を見上げ、絶望に対峙し、自らを、そして教員や生徒たちを励まそうと、「詩編」121編を読まれ、その讃美歌を賛美されたというのです。
私などは心弱く・不信仰ですから、苦難・試練に出遭うとすぐに下を向いてしまいます。しかし、若手花火師たちの心意気に励まされ、また山本つち院長が具体的に証されたように、厳しい状況を前にしても「上を向いて歩こう」と呼びかける、また上を向き神を見上げて祈り、神にある希望を見出す、そのように歩みたいと願います。「目を上げて、わたしは山々を仰ぐ。わたしの助けはどこから来るのか」、この嘆きを含んだ祈りに、「わたしの助けは来る天地を造られた主のもとから」と確信と感謝、賛美を続け得る、そんな信仰に進みたいと思うものです。