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2025
07Sep

「服従させた方の意志」滝澤 貢牧師

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ハバクク3:17−19/ローマ8:18−25/マタイ13:24−43/詩編90:1−12

 「被造物は虚無に服していますが、それは、自分の意志によるものではなく、服従させた方の意志によるものであり、同時に希望も持っています。」(ローマ8:20)

 第2次大戦が終結して、私たちの国にはいわゆる「キリスト教ブーム」と呼ばれるような現象が発生しました。
 敗戦の日前後はこの国にとって激動の日々でしたが、それは教団にとっても同じでした。教団年鑑の「教団の記録」というページに「敗戦」という項目があって、そこにはこう記されています。「1945年8月16日に予定されていた戦意高揚音楽礼拝は15日朝に中止。8月28日開催の第13回戦時報国会常務理事会は同会を戦後対策委員会、東亜局を国外局と改称し、また同日続けで教団統理者の令達を全教会に発送することにした。」。そして宗教団体法が廃止され宗教法人令となり、それに教団組織を適合させるために1946年5月から教団憲法及び規則の原案を承認し教団総会を組織します。6月7日8日には第3回教団総会を開き、教団統理者を廃止し総会議長を最高責任者とします。そして続く9日に、青山学院で全国基督教大会が開催され、約4千人が参加し、以後3年間「全日本へキリストを」という標語の下、「300万救霊」を目標として「新日本建設キリスト運動」が全国で展開されます。「敗戦後五、六年はキリスト教ブームの時期であった。アメリカ占領軍はキリスト教の諸活動を直接、間接に応援し、日本の支配層もアメリカの意を迎えるためにも、キリスト教に好意的であった。民衆は敗戦による虚脱感と解放感がゆきかうなかで、時代の流れを察知し、ある程度未知の新鮮さを持つキリスト教に関心を持ち、教会を訪れた」(土肥昭夫『日本プロテスタント・キリスト教史』)。キリスト教ブームの時代が始まったのです。
 土肥先生の記述によるとそのブームは戦後5〜6年ということで、いちばん長くて1951〜2年頃までということになります。1951年には特に北海道を中心として、旧日本基督教会のグループが大挙して教団を離脱します。以後教団は会派離脱が大きな問題となり、1953年には早くも教勢減少が始まります。今年は戦後80年ということでその歴史がいろいろと取り上げられますが、キリスト教、それも日本基督教団というところだけ観るとブームは僅かに80分の6年、7.5%で、80年の内の多くの時間、キリスト教は低迷、下降の一途を辿っているということでしょう。
 その原因をさまざまな人が語りますが、教団を批判的に冷静に観る人たちは、概ね以下のような視点を挙げます。「戦後、はなばなしい民主主義の流行の中で、教会も声を大にして、真の民主主義はキリスト教精神によらなければならないことを説いたのである。欧米民主主義諸国の例をみれば、確かにその通りなのである。しかし、明治以来信仰と良心の自由すら確立できなかった教会、侵略戦争を防止できなかった教会が、いかに戦後、キリスト教の重要性を説いても、それが真に権威あるものとなりえなかったことは当然である。戦時中の挫折の原因を十分に検討することなくして、戦後の伝道にのりだしたところに戦後の教会の最大の不幸があったのである。」(安藤肇『深き淵より――キリスト教の戦争体験』長崎キリスト者平和の会、1959年)。
 「被造物は虚無に服していますが、それは、自分の意志によるものではなく、服従させた方の意志によるものであり、同時に希望も持っています。」(ローマ8:20)とパウロは言いました。「虚無」とは「何も存せず、むなしいこと、空虚」を指します。また「服する」とは「服従する、承服する」「あきらめて、または得心して従う」という意味です。だからパウロとしては、「造られた者は全て虚しさの中に置かれているのだが、それは私たちをそのようにした方の意志に従うことなのだから、諦めではなく希望がある」と言いたいのでしょう。パウロは、今あるありようが神の意志であるという点で、存在そのものが全て神によって肯定されていると考えたのではないでしょうか。
 キリスト教がこの国に伝えられたのは歴史の教科書では1549年で、その年にフランシスコ・ザビエル一行が鹿児島に上陸したとされています。今から476年前です。プロテスタントが日本に伝えられたのは1859年5月に米国聖公会のジョン・リギンズ、6月にチャニング・ウィリアムズの来日を起点として、2009年にはかなり大々的に「プロテスタント宣教150周年」の記念行事が営まれました。しかしその時既に、バーナード・ジャン・ベッテルハイム医療宣教師が琉球王国に到着し、8年間、迫害の中で宣教活動を行い、琉球語の聖書翻訳を行った事実があることが指摘されていました。1846年のことです。そもそも「日本プロテスタント宣教」と定義する時点で、そもそも「日本とは何か」が問われなければならないでしょう。それにしてもザビエルから476年、ベッテルハイムから179年、リギンズ・ウィリアムズからでも166年を経て、この国のキリスト教人口は50年前から1%と言われ続けています。今では当然1%を切って0.7%程度でしょうか。それもコロナ・パンデミックを経て減少傾向は加速しています。キリスト教に限らず全ての「宗教」が減少しているのです。
 私はこの国に再び「キリスト教ブーム」が来てほしいとは望んでいません。あるいは熱心な方々が「この国にリバイバルを」と祈ったりするけど、そんな思いも全くありません。さらに言えば「天皇に伝道してこの国をキリスト教国にしよう」などという妄想(昔本当に真顔でそういうことを唱える人たちがいました)にも与しません。むしろ、宣教500年を経て総人口の1%にも満たないキリスト教という今あるありようには、神さまの御心が働いていると信じているのです。
 「被造物は虚無に服していますが、それは、…服従させた方の意志によるものであり、(だから)希望も持っています。」(ローマ8:20)。神の意志・神のご計画のあるところには、祝福があり喜びがあり、希望がある。私たちは希望を抱くことが出来る。それこそが「妄想」ではなく「事実」なのであり、「恵み」なのだと声を大きくして語り伝えたいと思います。

 祈ります。
 すべての者を愛し、一人ひとりの今あるありようをそのまま受け入れ導いてくださる神さま。私たちのありようをあなたが祝福してくださる故に、今あるありようにあなたの御心を読み取ることが出来ますように。御心を問いながら、どのような状況にあっても希望を抱いて進み行くことが出来ますように。復活の主イエス・キリストの御名によって、まことの神さまにこの祈りを捧げます。アーメン。 https://yotsuyashinsei.jp/wp-content/uploads/2025/09/20250907.mp3

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