四谷新生教会

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2025
17Aug

「親しみの最強デザイン」久保彩奈伝道師

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※本日の礼拝は滝澤牧師不在のため、音声データはありません。文字情報だけお届けいたします。

ヨナ3:1−5/使徒9:26−31/マタイ9:35−10:16/詩編71:14-19

 これまでの人生で誰かにあだ名をつけられたり、呼び名がある方は多いと思います。私自身も誰かにあだ名をつけたり、つけられた経験がありますが、私は教員だった時につけられたあだ名がお気に入りです。
 私は4月に伝道師として早稲田教会に着任したばかりですが、その前はキリスト教主義の中学・高校の聖書科の教員として十数年、勤めてきました。聖書科の教員として勤めたので、もちろんクラス担任や部活動の顧問もしてきました。長く勤めたのは埼玉にある共学の、一学年400人ほどいる学校でした。その、かつて勤めた学校で、生徒に付けられたあだ名があったのです。それは「聖書科のダース・ベイダー」というあだ名です。ダース・ベイダーとは、映画STAR WARSで皇帝の手足となり支配の恐怖の体現者として暗躍するアンチ・ヒーローです。頭は黒い甲胄とマスク、黒の装束にマント姿の、あの全身真っ黒の人物です。私のあだ名が「聖書科のダース・ベイダー」になったのは、生徒から毛嫌いされる生徒指導を長く担当していたこと、また他の聖書科の先生たちが穏やかで優しい方ばかりの中、主任という立場もあり、生徒を叱る役目が多かったからかもしれません。「久保を怒らせたら面倒だ」、「久保の前では悪いことはしないでおこう」と考えるヤンチャな子たちがつけたあだ名でした。酷いあだ名ではありますが、私自身はとても気に入っていました。何だか強そうでかっこいい、大好きなあだ名でした。というのも、ただ単に私のことを怖がり、嫌っているのではなく、「聖書科のダース・ベイダー」と私に言ったとしても、笑って許してもらえると分かって生徒たちがそのあだ名を付けてくれた、そのことが嬉しかったのです。今日の説教題にもしましたが、あだ名は「親しみの最強デザイン」とも言われています。皆さんには好きなあだ名や、呼び名はありますか。
 最近テレビを見ていて驚いたことがありました。今の大学生くらいの子たちは、小学校の時からあだ名をつけてはいけないと教育を受けているということでした。もちろん文科省や教育委員会が禁止させているわけではありません。原則「〇〇さん」と呼びましょうと指導され始めた最初の世代の子たちが、今の大学生に当たるようです。テレビでインタビューに答える大学生たちが、もうあだ名は世の中に存在しないかのように答える姿には違和感がありましたが、不快な思いにさせる可能性を排除する措置なのでしょう。ただあだ名は自然発生的に生まれますし、授業や教室でのみ「〇〇さん」と呼ぶことに意味があるのかとも思います。それと同時に聖書には数々のあだ名をつけられた人たちが登場することに改めて気付かされました。有名どころでは一番弟子ペトロはあだ名で、「岩」という意味ですが、本当の名前はシモンです。トマスには「ディティモ」(双子)というあだ名がありました。このように聖書の中にはあだ名がある人物は多くいます。聖書は「親しみの最強デザイン」の宝庫でもあるのです。
 そして今日の福音で登場した「バルナバ」も、実はあだ名だということが使徒言行録4章で示されています。バルナバとは、ギリシャ語でその意味は「慰めの子」(使徒4:36)。じゃあ、本当の名前は?というと、その名は「ヨセフ」。なぜ「慰めの子」バルナバと呼ばれるようになったのか。その理由は聖書で語られてはいませんが、おそらく彼の他者に対する態度にあったと考えられています。
 バルナバは4つの福音書には登場せず、使徒言行録で初めて登場する使徒の1人です。この使徒言行録を読み進めると、バルナバは何度も登場します。理由は、使徒パウロと共に宣教旅行に出かける盟友だからです。今日の聖書箇所はそんなバルナバとパウロが初めて一緒に登場する最初の聖書箇所でもあるのです。
 今日の聖書箇所では、かつて迫害者であったパウロが、まだ回心したばかり。いくら回心したとはいえ、回心する前は意気込んでキリスト者たちを殺しにいくような若手の律法の専門家だったパウロの評判は、最悪でした。過去のイメージを払拭して自分は変わった、もう昔の自分ではなく、回心したのだと示しても、エルサレムの弟子たちに信じてもらうことができませんでした。信じてもらえないというとなんだか可哀想ですが、それは当然のことでした。使徒言行録7章で使徒ステファノが殉教しますが、その時パウロは石を投げる人たちの外套持ち、鞄持ちをしています。その記憶がまだ生々しい時だったからです。そしてもう一つ大切なことは、今日の聖書箇所の「場所」です。パウロとバルナバはエルサレムにいます。つまり、かつてパウロがキリスト者たちを迫害する権限を与えられていた場所、それがエルサレムです。だからパウロは、ユダヤ教のかつての仲間たちからも寝返った奴、正気ではない奴と後ろ指を刺される。また新しくキリスト者だと言っても弟子たちから拒絶される。まさに針の筵。エルサレムにパウロの居場所はどこにもなかったのです。
 そこで登場するのが「慰めの子」とあだ名を付けられていた使徒バルナバでした。使徒たちがパウロを信じられずに恐れているところに、バルナバはパウロを連れてエルサレムに出かけます。バルナバだけはパウロを信じていました。そしてバルナバがパウロの回心の出来事を使徒たちに説明します。彼は、パウロはダマスコで回心し、そしてダマスコから福音を証し始めた、もう仲間なのだ、だからパウロを信じて大丈夫、と弟子たちの恐れを取り除くのです。このエピソードからして、バルナバというあだ名「慰めの子」たる所以が感じ取れると思います。
 でも不思議ではありませんか。なぜバルナバはパウロを信じていたのでしょう。そして今日の御言葉のバルナバを通して、改めて「信じるとは何だろうか」と思わされます。人を信じる。神を信じる。キリストを信じる。今日の聖書箇所、使徒言行録9章26節ではこうありました。「サウロはエルサレムに着き、弟子の仲間に加わろうとしたが、皆は彼を弟子だとは信じないで恐れた。」回心したパウロを信じられない弟子たちの動揺があります。しかし多くの人たちが信じられない中で、バルナバはパウロをなぜ信じられたのでしょうか。
 このことを考える上でどうしても必要になることがあります。それは想像力、です。皆さん、想像してみてください。パウロとバルナバが生きた時代。それは私たちのキリストが十字架によって死んで復活し、そう多くの年月が過ぎてはいない時代です。キリストが生きていた感触、キリストの香りをまだ鮮明に覚えているこの時代。弟子たちも、人々も聖霊によってペンテコステを迎え、勇気を持って教会を作り、キリストのことを伝えていこうとした。確かにそれも事実です。しかし使徒ステファノは殉教し、福音を受け入れる人とそうではない人との敵対が、暴力によって現れてしまう様を、まざまざと見せつけられていく。そんな時代です。そして重要なことは、この不安定な時代、この時、彼らの手元には新約聖書はありません。当然、パウロの手紙もありません。使徒信条も、信仰告白も形にはなっていないのです。つまり、洗礼も聖餐も、まだ定式化されていません。今の時代に私たちが「信じる」という時、目印になるようなものは、今日の聖書箇所の時代には何一つないのです。何を持って信じるとするのか。何を見て、聞いて、パウロはもう迫害者ではないと、バルナバは信じられたのでしょうか。
 このことをさらに考えるには、私たちはこの使徒言行録のことを知らなければなりません。使徒言行録は、ルカによる福音書を第1巻とするなら、使徒言行録はその続きである第2巻にあたります。ルカによる福音書と使徒言行録の両方を執筆した、このルカについて、少し心に留めたいと思うのです。
 ルカは、伝承ではお医者さんだったと言われています。私たちの思うお医者さんとはだいぶ違う時代ではありますが、それでもやはりルカの関心は病いを負った人々にありました。もしこれをもっと数字上で知りたい、という方がいれば、ルカの伝える病気の人をいやすエピソードは他の福音書の4倍にも上るのです。ルカがいなければ、腰が曲がった女性をいやし、水腫を患った人をいやしたことを知る由もなかったのです。また4つの福音書の中で、唯一、主の譬え話でも怪我を負った人が出てくる話を伝えてくれています。そんな病いや怪我の人を気にかけるルカが伝え残そうとした、信じるとは何か。それをルカは印象的な言葉で書き残しました。目が見えない人の目を見えるようにした時は「あなたの信仰があなたを救った。」(ルカ18:42)そしてゲラサの人を癒す前、キリストが湖で嵐を静めた時は「あなたの信仰はどこにあるのか」(ルカ8:25)と伝えます。ルカにとって信じること、信仰とは人が持ち得るもの、それはまるで携えるようなものであり、かつそれは目に見えるものとして描くのです。つまり、信じることとは、目にみえるかたちで現れるものだと考えているのです。
 この特徴を考慮すると、バルナバがパウロを信じて彼を庇うように説明してあげたことを伝える執筆者ルカの意図が感じ取れます。それは、バルナバにとってパウロを信じるに値することは、パウロが経験した回心の出来事だけで十分だった、ということです。信仰という目に見えないと思われるものが目に見えるほどに明らかになる。それはたった一つの回心の体験で十分なのです。そしてその後に変わったパウロの姿こそ、その証明であり、人をキリストへの信仰をもつのに十分であるということを、この時のバルナバの行動は教えてくれています。そして、バルナバの行動はパウロの状況を変え、教会の弟子たちも変えました。パウロは教会に受け入れてもらった後に、ユダヤ教の指導者たちとも議論をし、敵対し、命を狙われたことを伝えています。しかし今度、パウロの命を守ろうと行動したのは教会でした。どこにも居場所がなかったパウロの命を、バルナバだけでなく「兄弟たち」(使徒9:30)が今度は守る。パウロに対する見方が劇的に変化していることがわかります。そしてこう聖書は続きます。「こうして教会はユダヤ、ガリラヤ、サマリアの全地方で平和を保ち、主を畏れ、聖霊の慰めを受け、基礎が固まって発展し、信者の数が増えて」(使徒9:31)いきました。ユダヤ、ガリラヤは私たちのキリストが元々宣教をされてきた地ですが、そこにサマリアも加わるのです。サマリアへの宣教が確実に為されている。主の福音はユダヤだけでなくサマリアも対象なのだというのです。サマリアへの救い、つまり異邦人への伝道は、神が異邦人伝道を願っていたことを伝えています。そして「平和を保ち、主を畏れ、聖霊の慰めを受け、基礎が固まって発展し、信者の数が増えていった。」(使徒9:31)とあります。教会は最初から基礎があったわけではなく、時間をかけて教会が教会へと成長していく。それは私たちが目に見えない信仰を生活や行動で示してクリスチャンだと証するように、教会も教会となるために変化したことを伝えてくれているのです。
 最後に。今日は、バルナバと呼ばれた使徒を紹介しました。バルナバは目に見えないはずの信仰をパウロの変化した姿を通して見出し、教会の人々がパウロの信仰を見出せるよう変化させました。そんなバルナバの行動は、まさに「慰めの子」と呼ばれるに相応しいと感じますが、そういえば、キリストにつながる私たちみんなに共通するあだ名がありました。それは「クリスチャン」です。「キリストの人」という意味のギリシャ語「クリスティアノス」が、ラテン語では「クリスチャン」という言葉となり、あだ名として広まりました。実は今日紹介したバルナバは、世界で初めてクリスチャンと呼ばれたアンティオキアの教会の人たちへの伝道をした人物でもあります。その最初のクリスチャンたちに向けたバルナバの言葉を最後に聞きたいと思います。「固い決意をもって主から離れることのないように」(使徒11:23)とても短いですが、この言葉を今日、心に留めたいと思います。かつてパウロもそうだったように、神が私たちに働きかけてくださった信仰の体験や決意を思い起こし、私たちも主から離れることがないように、今週も歩んで参りましょう。それでこそ「クリスチャン」というあだ名、「親しみの最強デザイン」の名に相応しい、私たちの新しい姿なのです。

祈り
私たちを慰め、励ましてくださる神様。固い決意をもって主から離れることがないように、今週もお守りください。また私たちが辛い時、その悲しみや嘆きに耳を傾けてください。そしてあなたの慰めを受け、励ましを受けた者として、私たちがあなたの慰めと励ましを届ける人として用いてください。
人知では到底計り知ることができない、神の愛、聖霊の交わりが豊かにあることを願い、このお祈りを愛する主、イエス・キリストのみなを通してお祈りいたします。アーメン。

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