豆まきをする「節分」は文字通り季節を分ける日。それ以前は冬で、節分翌日が立春となる。
「春は名のみの…」は童謡「早春賦」の言葉。節分の頃の歌であることがわかる。面白いのはこの歌の3節。「春と聞かねば知らでありしを/聞けば急かるる胸の思いを/いかにせよとのこの頃か」。今風に言えば「「春だ」って言うからその気になっちゃったじゃん。どうすんだよ、気が逸ってしょうがないよ。」かなりトホホな内容ではないか。
一方、「春の七草」は、驚く(別に…常識ではあるけどね)ことに1月7日の食卓に上(らない家庭の方がもはや大多数か)る。これはいくらなんでも「春」という季節にはほど遠いのだけれど、この国には「早春」だけでなく「新春」という言葉もあるのだ。春の七草をお粥にして食することで、お正月のご馳走で疲れている内臓を少し休ませようという配慮かな。
春を決めるのは「立春」や「新春」だけではない。気象庁も春を決めている。尤もこちらは単純に3月1日が春の始まり。そして四季であるから12÷4で3。3月4月5月が「春」ということになる。ところがこれ、雪国人である私には納得がいかない。私の故郷では11月に入る頃には家中を「雪囲い」といって板で囲み、積雪や落雪から家を守った。この囲いを解くのは3月の終わり頃。およそ5ヶ月家の中は暗い。家が暗い季節こそ「冬」そのものという感覚なのだ。だから気象庁さんには文句あり!(単なるごまめの歯ぎしりですから、お気遣いなく)。
今日は3月3日で「上巳の節句」。中国の故事に倣いこの日水辺で身を清め宴会を催し厄災を祓う。これが「流し雛」の原型で、流し雛がやがて「ひな飾り」となり、江戸文化によって磨きがかけられて絢爛豪華な段飾りとなったとか。
宗教に関係なく、風土と風習はとても大事なものだと私は思う。時々思い出してそのルーツを覚えるのはそのためでもあるのだ。
2024
03Mar
四谷快談 No.153 春だねぇ
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