北支区常任委員会の命を受け、奥羽教区総会に傍聴として派遣されて盛岡に来ている(23・24の両日)。
コロナ禍のため3年間書面決議で行われていた奥羽教区総会が4年ぶりに対面で開かれ、北支区との交流もその間途絶えていたが、こうして傍聴者を派遣することで再開したのだった。
奥羽教区らしさの現れた議事が幾つかあったが、初日夕刻に「奥羽教区の歩み並びに教区会計等に関する分かち合い」というセッションは特筆。教区事務所で働いておられる主事補の方が、特に教会負担金算定を巡る教区会計の長い苦慮工夫の歴史を資料をもとに説明され、分かち合われた。主事補が主役になったことは史上初かもしれない。
個人的には25年前に遠野教会を辞任し奥羽の地を離れて以来の教区総会。57ある教会の教師たちは多く交代したが、信徒議員の中には当時のわたし、いやさらに40年前のキリスト教書店店員だった頃のわたしのことを憶えていてくれる人もいたりして、ちょっとした浦島太郎、いや彼は知人が死に絶えて代替わりしていたから違う、放蕩息子(ぴったり!)状態だった。
近年奥羽教区総会は奥羽キリスト教センターを会場に開かれることが多かったが、状況を鑑みもっと広い場所として駅西側にあるいわて県民交流センター「アイーナ」(築17年)の大会議室で開催。2年盛岡市民だった者にとって、いわゆる駅裏側がこんなに開発されているのは驚きだった。
それどころか、NYタイムズが選ぶ「今年行くべき世界の旅行先」第1位ロンドンに次いで盛岡が第2位だとか。現地はどれだけ盛り上がっていることだろうと思ったのだが、オクユカシイ県民性・市民性ゆえか、驕り高ぶる様子もなく静かだった。それでも街並みは大きく変化し道路だけ見れば大都市並みに整備されているゆえにか、余計に静けさ(無人さ?)が強調される。
その静かさこそが、わたしにはとても嬉しいことなのだが。