礼拝堂にはいつの間にかその人の指定席のような場所が出来上がる。長く在籍しているかどうかに関わりなく、なんとなくその場所にいつもその人が座っていて、周囲もそうであることを自然に受け入れ、いつの間にか礼拝堂の風景になって行く。
その人は、受付で名前を書いたら先ず補助席に座る。そして礼拝献金を袋に入れて献げ、それからおもむろに向かって右側いちばん後ろのベンチの内側に腰掛ける。そこがその人の指定席。
グランダ四谷というホームから車で職員に送られて礼拝堂に入るから、その来る時間も帰る時間もほぼ定刻。いつもシャンとした姿勢が礼拝の最後まで乱れることはない。
その人が珍しく礼拝に来ない。折しもけっこうな雨で気温も下がり気味だったので大事を取ったのだろうと、礼拝堂に集った誰もがそう思っていた。
翌日教会の電話が鳴る。その人の娘さんからだった。6日土曜日の未明にその人はホームで亡くなったのだという。大好きなお風呂に入ったところで心臓発作を起こしたらしく、苦しみもせず逝ってしまったのだ、と。
鎌倉正子さんはご自身のことを話したりはなさらなかった。シャンとした姿からきっといろいろな体験をお持ちだろうと想像はしたが、こちらも敢えて尋ねなかった。礼拝出席簿を見ると22年3月27日に初めて来られ、以後ほとんど毎週お目にかかっていたのに。いつも穏やかに微笑んでいたから。どのように理由付けても、もうその口から直接お話を伺うことは出来ない。
正子さんは夫の孝安さんと青山学院大学神学部で同級生。大学院まで進み卒業。孝安さんは学院教会牧師。その後静岡英和の教務教師となり定年まで奉職された。それから代々木に移り住み、孝安さんの病気が重くなって夫婦で入れる施設に入居した。そこから毎週四谷新生教会に通っておられたのだった。
ここで過ごした時間を、正子さんは喜んでいてくれただろうか。