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2022
11Dec

四谷快談 No.89 目ざめよ!

  • 四谷快談

 先日別の保育園に連れて行くはずだった我が子を車に残したまま熱中症で死なせてしまうという悲しい事件が起こった。さらに今度は保育士3人による園児への暴行というこれまたにわかには信じがたい事件が起こった。

 岸和田の事件に抱いた違和感を先ずハッキリさせたい。それは3きょうだいがどうして別々の保育園に通わなければならないのか、だ。もちろん、施設によって園児の充足数が異なるとか、自治体の認可保育園は建て前として対応が同じだからとか、事実を後押しする理屈ならいくらでもつけられる。だけど、3人を別々のところに預けたいと願っていたわけではあるまい。預けられなかったのだ。全国でこういう状況に置かれているきょうだいは一体どれくらいのケースになるだろうか(相当数に違いない)。

 このこと一つとってみても、子どもが人格ある一人の人間として扱われていない証拠ではないか。普通に考えたら意地悪でしかなかろう。そして残念ながらその子どもをどこに受け入れるかを決めるのが自治体である以上、岸和田の事件は全国の自治体に等しく第一義の責任がある。それが問われたそのあと欠席家庭への連絡を怠った施設の責任が問われなければならない。

 そして保育士による虐待。乳幼児はその期間特定の人間との親密な関わりが絶対的に必要だ。だから先ず「親」なのは誰にとってもそうなのだ。だけど事情によってそれが出来ないからこそ保育施設が必要になる。ところが11時間保育を「標準」とするこの国で、保育労働者の労働時間は当然8時間。その差分は別の人が繋がなければならない。親密な関係が必要な年齢の時にそれが出来ない。しなくても良い。「人格ある一人の人間として子どもが扱われなくても良い」と国が認定しているようなもの。

 既に取り返しがつかない事態を、一体どれ程繰り返すつもりだろうか。子どもの「死」がどれだけの数になったらわたしたちは目を覚ますのだろうか。ムリかも知れないなぁ。

「待ち望む」滝澤 貢牧師

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