幼稚園は18日に「冬休みナーサリー」も終わり、全体が冬休みに入った。子どもたちの声がしない幼稚園は、なんだか気の抜けたサイダーみたいだ。
今年幼稚園は全体で35名という構成だった。「担任をしても良い」という意志を持つ有資格教師が3名。この幼稚園は3年保育を行っているわけで、制度上は3名(3学年)の教師が必要だから、園児の数よりも教師の数の方がハラハラする。
そして今年は通年で縦割り──というと「おぉ」と思うが、要するに全体でひとクラス──という思いきった対応でスタートした。尤も年少クラスは「幼稚園」という環境に慣れるために一学期だけほぼ単独クラスに似せた運営をしてきた。
そういう状況を振り返ってみた時に、子どもたちが当初予想した以上に育ち合っている気がした。教師の振り返りの感想の中にも「子どもたちが教師を助けてくれた」という実感のこもった言葉があったほど。大人が教え子どもが習う。もちろんそういう場合がほとんどだが、「生きる」というのはそういった一方的不可逆的に固定された関係ではないという可能性がそこには見える。
「育ての心。そこには何の強要もない。無理もない。育つもののおおきな力を信頼し、敬重して、その発達の途に遵うて発達を遂げしめようとする。役目でもなく、義務でもなく、誰の心にも動く真情である。」。1936年に出版された倉橋惣三の「育ての心」、その序にある言葉。これが四谷新生幼稚園にあっては全く古びていないどころか新しささえ感じさせられるようなこの9ヶ月の歩みだった。
本当に「子育て」「子育ち」には古いとか新しいとか、近代的だとか現代的だとか、そんな比較ではなく存在する何らかの「真理」のようなものがある気がするのだ。何というか、時代遅れでいて最新。それを実感出来るのは幸いかもしれない。
ここが心地よい場所でありたい。大人にも子どもにも。
2025
21Dec
四谷快談 No.247 心地よい場所


