イザヤ40:1−11/Ⅱペトロ3:8−14/マルコ1:1−8/詩編85:1−14
「見よ、主なる神。彼は力を帯びて来られ/御腕をもって統治される。見よ、主のかち得られたものは御もとに従い/主の働きの実りは御前を進む。」
(イザヤ40:10)
2000年6月に三宅島雄山の山頂噴火が起りました。3ヶ月後の9月には全島民が島外へ強制避難させられました。そして2005年の2月に、4年5ヶ月ぶりに避難指示は解除されました。日本基督教団三宅島伝道所は5月2日に民宿の一室を借りて帰島後初の礼拝を行いました。2009年1月31日に、東京板橋で三宅島に帰りたくても帰れない住民への支援集会が行われました。噴火から9年、避難指示解除からもすでに4年半がを過ぎたその頃でも、島に帰りたくても帰れない島民はまだまだ多数いたのでした。
2004年10月23日に発生した新潟県中越地震によって、旧山古志村の全村民が村をあとにしました。2007年4月1日に、旧山古志村のほぼ全域で避難指示が解除されました。しかし、震災以降に旧山古志地域外に生活拠点を移した世帯が多くいました。もちろん全員が全員喜んで村外へ拠点を移したわけではありません。
2005年3月20日に発生した福岡県西方沖地震でも玄界島の島民が島をあとにせざるを得なくなりました。2008年3月25日、仮設住宅が撤去され、希望者は全員帰島が完了しました。しかし復興後の島には島民の絆が失われ、交流が減ったと感じる人が全体で64.4%、70歳以上では72.0%にも昇ることがわかりました。
2021年12月1日に、帰還困難区域となっている福島県葛尾村(かつらおむら)で帰還に向けた住民の準備宿泊が始まったとのニュースがありました。翌年春に避難指示解除を目指している復興拠点で、夜間滞在が可能になったのはその時が初めてでした。葛尾村野行地区復興拠点には30世帯83人が住民登録しているそうですが、初日に申請したのは夫婦一組だったようです。今年2025年の12月1日付けで葛尾村が発表している「帰村・避難状況」に因れば、帰村者は300人、避難指示解除後の転入者は村内居住者169人、村外居住者22人の計191人、避難者は県内に697人県外に35人の732人だそうです。新たな転入者を除けば村民の内の避難者はまだ70%以上いるのが現実です。
今年2月に、岩手県大船渡市で大規模な山林火災が発生しました。平成以降最大規模と言われました。日中でも山林から真っ赤な炎が噴き出す映像をわたしたちは長いことテレビなどで観ていました。その火災規模からすれば奇跡的かも知れませんが、亡くなった方は90代の男性一人でした。しかし4千人以上が避難し、完全な鎮火には約一ヶ月かかりました。
そして11月18日には大分市佐賀関で住宅など170棟が被災しました。2016年に新潟県・糸魚川で発生した大規模火災を上回る被害規模で、この数十年では最大規模の市街地火災でした。発生から17日たった25日、ようやく市長が鎮火宣言を出したのでした。
思いつくままにいくつかのことを調べてみただけですが、わたしたちの周辺ではこういった災害によって住み慣れた土地を離れるということがここ数年多数起きています。そして復興の名の下に帰還する人ももちろんいますが、帰還できない人、あるいはこの先の生活の目処が立っていない人がたくさんいるだろうけれど、実数はなかなか見えてきません。その上無事帰還した人たちにもそれまでとは全く違った新たな問題が持ち上がっている実態が幾つもあります。
今日お読みしたイザヤ書はバビロンで捕らわれている人たちと共にいた預言者の言葉です。バビロンは現在のイラクですね。地形について詳しくないのですが、しかし預言者は確かにそびえ立つバビロンの城壁の傍らから、遥かに約束の地、かつて神殿の建てられていたエルサレムを望んでいるのです。その方向には乾き切った荒れ地が広がっています。いくつもの山を越え、谷をくぐらなければエルサレムには到りません。彼らは絶望と共にその道を逆にたどってバビロンに連れて来られたのです。
しかし今、預言者は「民を慰めよ」との声を聞くのです。「呼びかける声がある。主のために荒れ野に道を備え/わたしたちの神のために、荒れ地に広い道を通せ。谷はすべて身を起こし、山と丘は身を低くせよ。険しい道は平らに、狭い道は広い谷となれ。」(イザヤ40:3-4)。これはおそらく目の前に見える荒れ地の様子そのままを歌った言葉でしょう。かつて絶望と恥とを抱えて連行された道を、希望と喜びの道に変える。回復にむかってまっすぐな道が備えられるという、まさに希望の歌なのです。
アフガニスタンで人々の支援に当たっているペシャワール会の中村哲さんは、戦火を逃れてパキスタンに逃れていた350万人のアフガン難民が、92年4月に、戦闘が下火になった時に、自発的にアフガニスタンに帰還していくのを目撃したといいます。中村さんの言葉によると「彼らは胸を張り希望に顔を輝かせて家財道具をトラックやラクダ、あるいはロバの背に乗せて続々と国境を越えて帰還しました。信じられないような光景でした。夢のようでした。誰にも指図されず誰の手も借りずに自分たちの力で故郷に帰っていったのです。一生あの光景を忘れないでしょう」。
その同じ光景を、遥か昔、預言者は幻の中に確かに見ていたのでしょう。胸を張り希望に顔を輝かせて歩み出す帰還の民の先頭に、主ご自身が立たれているのを、きっと預言者は見たのです。「見よ、主なる神。彼は力を帯びて来られ/御腕をもって統治される。」(同10)。
わたしたちもまた混乱の中にいます。様々な災害の痛ましい景色ももう何度も見させられてきました。それだけでなく、まるで80年前に戻ったかのような近隣国に対する威勢の良いかけ声がまたぞろ響き渡っています。80年前と同じように国を滅ぼしかねない偏った選択に今、ほぼ片足を突っ込んでいる。その行く先はこれまで経験したことのないような大混乱と、ひょっとしたら世界の終わりかも知れない。天災と人災がその境を限りなく低くしている今、無力な者の側に徹底して立ち「力を帯びて来られ/御腕をもって統治される」主を、わたしは本当に待ち望む気持ちが、覚悟があるのでしょうか。
祈ります。
すべての者を愛し、導いてくださる神さま。国が滅ぶ混乱の中で、故郷を遙かに望み見て、行く手にあなたの力を見出した預言者の言葉を聞きました。わたしたちもまた混乱のまん中であなたを待ち望むアドヴェントを過ごしています。この世に生き、しかしあなたの永遠のご計画に自分を委ねる者としてください。復活の主イエス・キリストの御名によって、まことの神さまにこの祈りを捧げます。アーメン。


