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2025
31Aug

「出る杭」滝澤 貢牧師

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https://yotsuyashinsei.jp/wp-content/uploads/2025/08/20250831.mp3創世記24:62−67/コロサイ3:18−4:1/マタイ12:43−50/詩編128:1−6

 「知ってのとおり、あなたがたにも主人が天におられるのです。」(コロサイ4:1)

 日本語の諺に「出る杭は打たれる」というのがあります。皆さんよくご存じの諺です。どうも使われ始めたのは江戸時代頃ではないかという説があります。「和を以て貴しとなす」が道徳の一丁目一番地であるこの国にとって、その和を乱す「出る杭」は打ちたたき直して他の杭に揃える必要がある、ということでしょうか。
 諺というのは、似た状況を言い表す別の言葉が存在するものなのですが、この「出る杭は打たれる」という諺を別の言葉で言い表そうとして辞書を探ってみても、同義語は見当たりません。これは極めて面白いことです。つまり、他の言葉を持っては言い表せないほどにわたしたちの心に染みついている、ということでしょう。今も充分すぎる効力を持った諺であって、言い換える必要を持たないほどに完成しているということでもありましょう。
 ところが、この鉄板の諺を逆手に取った人が現れました。その人は「出すぎる杭は打たれない」と言ったのです。いろいろな人がその言葉を使っているので、誰が言い始めたのか諸説ある中で、どうやら松下幸之助さんが最初に言い始めたという説が有力です。改良ソケット一つを武器に関西電力から独立し23歳でやがてパナソニックの基礎となる松下電器具製作所を創業した立志伝中の人物ですし経営の神さまと呼ばれた彼です。かなり打たれた杭だったろうと思いますが、打たれるところで終わったりくじけたりしないところが本領なのでしょうね。「出すぎる杭は打たれない」とは、そんな彼の生き様をよく現しているとさえ思える言葉です。
 日本基督教団の成立の歴史を顧みる時に、キリスト教会はこの国にあっては「出る杭」だったと思うのです。宣教開始以来、キリスト教がこの国にもたらした影響はたくさんあります。その影響はもちろん良いと思えるものも、悪いと思えるものもあるわけですが、いずれにせよ「出る杭」だった。激しく打たれもしましたし、受け入れられても来たのです。ところが1937年に日中戦争が勃発して以来、この「出る杭」はめっぽう打たれ弱くなってしまいました。そして神道や仏教と横並びになることを最優先に、なるべく出ない杭になろうとしてきたわけでしょう。そうして出来たのが日本基督教団でした。戦責告白は「国を愛する故にこそ、キリスト者の良心的判断によって、祖国の歩みに対し正しい判断をなすべきでありました。」と述べますが、むしろ「祖国の歩み」より前に「自らの歩み」を糺すべきだったのかも知れません。
 パウロはコロサイの信徒への手紙の中で、当時の家族制度の中に留まるように教えています。大変問題を多く感じる箇所です。キリスト者によっては「パウロ先生が語っているのだから」と自らの家父長的思考を肯定する最強の材料にする人ももちろんいるかも知れませんが。少なくとも、私はここを読んで大きな共感を得はしませんでした。パウロ当時の家父長的な家族関係・親子関係や主従関係をそのまま肯定しているわけですから。
 ただもし、きわめて不快な思いをいだかせるこのパウロの言説の中に注目すべきことがあるとしたら、あらゆる関係──家族関係・親子関係や主従関係の中に「主」という基準を置こうとしていることです。あらゆる関係に対して「主に対してするように」(23)と言う。相手が夫であるとか妻であるとか子どもであるとか奴隷であるというその属性の前に、その全てが「主」によってあがない取られた存在であるという価値を先ず置く。その上で単に社会──今ある価値観──を混乱させるのではなく、今ある価値観を頑なに守ろうとする社会のど真ん中で人と人との関係を「主」において再構築してゆく。新たな人間観を打ち立てる。それをパウロが提案していると読めなくはないからです。
 私たちの日本基督教団には、困ったことに戦後、異常なキリスト教ブームが襲って来ました。この国が大混乱を迎える時に、新しい価値観の光を求めて多くの人が教会に押し寄せた。だけど、教会はそれに対して充分な答えも新しい道も光さえも示せなかった。ある意味当然の帰結でした。「国を愛する故にこそ、キリスト者の良心的判断によって、「自らの歩み」に対し正しい判断をなすべきでありました。」それが一つもできないうちにブームが押し寄せてきたのですから。
 もはやブームは過ぎ去り、一頃華やいでいた「キリスト教式結婚式」さえも下火になりました。もちろんキリスト教だけに限ったことではありません。多くの「宗教」は総じて力を失ってきていると聞きます。でもそういう時だからこそ私たちは「自らの歩み」に対し正しい判断をする時を与えられているのかも知れません。今ある価値観を頑なに守ろうとする社会のど真ん中で、人と人との関係を「主」において新しく創り出してゆく。「主において」という点では今度こそ「出すぎる杭」でいたいと願っているのです。

 祈ります。
 すべての者を愛し、導いてくださる神さま。全てのことを私たちの導き手である「主」において、もう一度考え直し捕らえ直し、組み立て直す。その道を歩むことが、あなたの求め給う道であるかも知れません。それは限りなく厳しい道のりですが、しかしあなたの支えと導きを得て、少しずつゆっくりとでも歩み続けることが出来ますように。復活の主イエス・キリストの御名によって、まことの神さまにこの祈りを捧げます。アーメン。

四谷快談 No.231 夏の教会めぐり

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