創世記21:9−21/ローマ9:19−28/マタイ8:5−13/詩編102:16−23
「神はわたしたちを憐れみの器として、ユダヤ人からだけでなく、異邦人の中からも召し出してくださいました。」(ローマ9:24)
今日CSの礼拝で、この絵本を読みました。「やくそく──ぼくらはぜったい戦争しない」。
本文の作者は那須正幹さん、児童文学作家です。山口県防府にお住まいで、私が防府にいた頃にもたくさんお世話になった方でした。子どもたちには今も人気がありますが「ズッコケ三人組」というシリーズを書いた方です。2021年7月に亡くなっています。
2013年のヒロシマの被爆70年に併せて広島市東区民文化センター館長を務めていた山本真治氏らが那須さんに歌の歌詞の制作を依頼します。一つは冬木透さんが曲を付けて「合唱曲『ふるさとの詩』」となり、もう一つの「ばあちゃんの詩」には曲が付けられなかったのだそうです。歌詞というよりも物語的な内容だったために、原稿のまま保管されていたのでした。
生涯平和の大切さを訴え続けてきた那須さんのこの遺作を、全ての著作権を遺贈された児童文学者協会と出版社のポプラ社が思いを一つにして今年の2月に絵本として刊行した。それがこの「やくそく──ぼくらはぜったい戦争しない」だったのです。
子どもたちには本文を読みました。が、聖日礼拝ではこの本のあとがきとして収録されている那須さんの言葉を紹介したいと思います。これは1990年に岩崎書店から刊行された「子どもにおくるエッセー集 夕焼けの子どもたち」の中にある戦争と平和について書かれた文章を、この絵本のあとがきにふさわしいと選んで掲載された文章です。
なぜ日本は平和なのか? 那須正幹、1990年
また8月がやってくる。8月といえば、今から45年前の8月15日、日本は15年間続いた戦争に負けて無条件降伏をした。日本がアメリカやイギリスと戦争して負けたことは、きみたちも知っているだろうが、日本がアメリカやイギリスと戦争を始める前から、中国大陸で長いあいだ戦争をしていたことは、あまり知らないんじゃないかな。
ことの起こりは、1931年の9月、日本が中国の国内に満州帝国という国を勝手につくるためにはじめた、いわゆる満州事変だった。当時の日本は、中国なんて、かんたんにやっつけられると思ったらしい。ところが頑強な反撃をくらって、ずるずる長期戦になってしまった。物資は乏しくなるし、外国から経済制裁はうけるし、にっちもさっちもいかなくなった日本は、東南アジアの石油や鉱物資源を手にいれるため、米、英、オランダに戦争をしかけた。1941年12月にはじまった太平洋戦争だ。
それにしても、45年といえば、ずいぶん古い話だと思うだろう。きみたち、10代の人間にとっては、大昔のできごとみたいに感じられるにちがいない。でも、あの戦争をすこしでも体験した人にとっては、けっして大昔のことじゃないんです。たとえば、ぼく自身、戦争の終わる9日前の8月6日、広島で原爆にあっている。3歳といえば、赤んぼに毛がはえたほどの年齢だが、それでもあの日の光景は、強烈な記憶となって残っている。まして、肉親を失った人、炎のなかをにげまわった人、放射線の影響に苦しんだ人にとって、あの日は、けっして大昔のできごとじゃないはずだ。これは原爆だけではない。直接、戦争にくわわった兵士から、沖縄の地上戦にまきこまれた民間人、あるいは敗戦直後、外地から引き揚げてきた人びとも同様でしょう。つまり、あの時代を生きた人にとっては、40年たとうが50年たとうが、あの戦争は、たんなる歴史的事実として、かたづけられないものがある。そこのところが、あの戦争を、学校の勉強や本やテレビで知っているきみたちと、感じかたがちがうんですね。
最近ぼくは、日本が45年間、一度も戦争しないでこれた原因について考えています。なにしろこんなに長いあいだ、日本が平和だったことは、明治以来はじめてなんですね。なぜ、45年も日本が平和だったのか?日本政府が憲法の精神を守り、世界平和のために努力をおしまなかったからだろうか。残念ながら、そうではないらしい。
日本の政治をにぎっている人のなかには、いますぐにでも憲法を改めて、日本にも正式な軍隊を組織して、いつでも戦争ができる体制にしたいと考えている者がかなりいる。事実、軍隊をもてないはずの日本に、アジア最強の装備をほこる自衛隊が存在して、ここ数年、軍事予算は急速にふくらんでいる。
それでもなんとか、外国に対して軍事行動を起こさなかったのは、国民の大多数が45年前の戦争のことをおぼえていて、「戦争だけは、もう絶対いやだ」という気持ちがしみわたっているからじゃないだろうか。だから、さすがの戦争好き、軍隊好きの政治家も、平和憲法に手をつけられない。と、まぁ、ぼくはそう考えています。
しかし、それもこれも国民のほとんどが、戦争の体験者だったからで、戦争を知らない世代がふえていくにしたがって、だんだん薄れていく可能性がある。正直なところ、きみたちの心の中に、戦争は嫌だという気持ちがどれほど強く、その気持ちが、政治を動かすだけの力になれるか、不安なのです。
明治以来、日本はなんども外国と戦争をした。当時の人々が、ことさら戦争好きだったわけじゃない。それでも戦争したのは、なぜだろう。ひとつは、当時の日本には、軍隊が存在し、天皇の命令で、いつでも戦争が起こせる、それが可能な憲法だったということ。そしてもうひとつ、当時の日本国民の心のなかに、勝てる戦争ならやってもいい。勝てば領土もふえるし、国も豊かになるという気持ちがあったということじゃないだろうか。事実、戦争は金もうけの手段だという考えかたは、現在でも大手をふってまかり通っている。
さぁ、これから40年間、日本は平和でいられるかどうか。それを決定するのは、政府でも日米安保条約でもない。きみたちの一人ひとりが、戦争を体験した世代とおなじように、いや、もっと強力に、「戦争は絶対にいやだ」と、大きな声で叫びつづけることだと思う。沈黙したとたん、戦争はたちまち、きみのまわりに忍びよってくるにちがいない。
パウロはローマの信徒への手紙で、選ばれた民イスラエルと、それに対比して罪ある存在とされてきた異邦人との間に、「神の選び」「神の自由な選び」という基準を示します。「神は御自分が憐れみたいと思う者を憐れみ、かたくなにしたいと思う者をかたくなにされる」(9:18)。しかしその基準が神のあわれみに覆い尽くされて、その結果「憐れみの器として、ユダヤ人からだけでなく、異邦人の中からも召し出してくださいました。」(同24)と、私たちが生きていることの根源的な意味が提示されているのです。生きている者は、生きているという事実だけで神の御心をその命で示す責務があるということではないでしょうか。その一つが、那須さんの言われる「「戦争は絶対にいやだ」と、大きな声で叫びつづけること」なのではないか。
平和聖日に、私たちが神によってつくられた者であるとの自覚がいよいよ増し、小さい自分を神さまに献げ尽くして、その御心、そのご計画を担う一人となりたい。その思いをますます強く感じるのです。