幼稚園は一学期が修了した。今月中は夏休みナーサリーに10人前後がやって来るが、本体は無事終了。
園児34人からスタートし、途中退園はいなかったが途中入園やごく短期利用者も得た。そして総勢35名が夏休みを迎えた。
今年の幼稚園は、園児数に加え職員の不足という事態もあって年少・年中・年長が全部でひとつのクラス、通年の縦割りという新しい試みを行った。その経験から見えてきたことを中心に一学期の振り返りを行った。
全部がひとつのクラスということで、イメージされるいわゆる「担任」は一人、あとは副担任または補佐役というクラス運営の戸惑いや利点、子ども一人ひとりの育ちと全体ひとクラスの関係など、考察するポイントは多岐にわたった。
教師それぞれの振り返りや思いを聞いていて、私たちはかなり新しいチャレンジに挑んできたわけだが──それは間違いなく新しい幼稚園の姿であると自負して良い──、一方で「子どもの育ち」という点から見たら極めて根源的なことをしてきたのではないかとも思った。
つまり、子ども同士の関わりが一番重要だということ。人と人との関わりの中で人間が育ってゆくというその過程を見てきた一学期だったのではないか。具体的には保育者/大人は様々な仕掛けを用意して細部にまで心を行き届かせて保育にあたるが、保育の現場では全くの黒子に徹する。大人が育てるのではなく、一見すると子ども同士で育っていると見えることこそ一番大事なことで、それに少し近づいたのではないかと。
この業界では使い古された「自由保育」という言葉。そして同じように使い古された「キリスト教保育」という言葉。どちらも言葉の定義や説明に膨大な言語を必要とするという意味でまさに使い古された。だが私たちのやっていることは「仕掛け保育」で良いのだ。それを用いて子どもたち自身が育ってゆくのだから。
2025
20Jul
四谷快談 No.225 「仕掛け保育」の面白み
