気づいている人はいるだろうか。ここ数年、いわゆるキリスト教の三大祭りに向かう「○○前節」になると、CS礼拝と主日礼拝の聖書箇所が同じものになっているのだ。そのため、例えば次週復活前第2主日4月6日の礼拝で取り上げられる中心聖句はマタイ20章20−28節。中心聖句が同じだから当然のようにメッセージのタイトルもCS礼拝と主日礼拝が同じ。
四谷新生教会は2024年度から、教会が子どもの方に寄って行くことを活動の目標としてきた。これまでは例えば教会が中心にあって、その周辺にあるCSや幼稚園が教会に寄っていくという方向を崩さなかった。いや、崩すもなにも、それ以外考えつかなかったし思いもしなかった。それでなんの問題もなく教会は続いてきたのだった。これは四谷新生教会というひとつの教会の特殊性ではなく、おそらく日本にプロテスタント・キリスト教が伝えられて以来ずっとどこでもそうだったのだと思う。
ところがコロナという禍がやって来て、これまで露わにされてこなかったことが軒並み露わにされた。そうなってみて初めて、思いのほか教会の足元は弱っていたということも可視化された。これまたこの国のキリスト教会にほぼ例外ないことだった。
そのとき初めて(ちょっと大げさか?)四谷新生教会には四谷新生幼稚園があるということ、その意味に気づいたのだ。もちろん蔑ろにしてきたつもりは微塵もないのだが、しかし本当に目が啓かれたのだ。この地で福音を担ってゆくのは、この地で生まれたり育ったりする目の前の子どもたちだということに。
そしてタイムリーに、CS礼拝の聖書日課が主日礼拝日課に寄ってきたのだ。これは間違いなく天から降ってくるマナではないか。そのチャンスを生かさないのはもったいない。
というわけで3月9日は「パンだけで生きるものではない」、16日は「神の国はどこに来る?」、23日は「天国と地獄」となった。今日は別々なんだけど…(オトナの事情)。
2025
30Mar
四谷快談 No.209 見ることの出来る者は見るが良い
