四谷新生教会

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2025
30Mar

「小さな群よ、恐れるな」滝澤 貢牧師

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ルカ12:22−34/詩編145:1−13

 「小さな群れよ、恐れるな。あなたがたの父は喜んで神の国をくださる。」(ルカ12:32)

 2025年度の教会活動目標の中にこういう文章を書いています。『「四谷新生教会」を「小さい」とするには勇気がいりました。比較するならば、もっともっと厳しい現実に直面している教会は日本中にたくさんあります。でもその一つとして神さまが捨て置かれることはありません。むしろ豊かに祝福しておられます。』
 このことばを書き記そうとしたときわたしの心の中にあった思いをとても良く言い表している文章に出会いました。つい先日送られてきた「奥羽教区通信No351」です。この中に、23年まで盛岡の内丸教会におられた中原眞澄牧師が24年春から秋田飯島教会に転任され、教会の様子を記した文章が載っていたのです。こんなことが書かれています。『51年前に開設されたのが秋田飯島教会の前身・土崎伝道所でした。以来3回の移転を経、現在地の新築会堂で伝道が始まったのが1988年12月でした。以来38年、ただ今の現住陪餐会員は4名ですが、求道中の方と共に元気に礼拝に集い、祈祷会を守っています。昨春に着任した中原牧師とともに「小さき群よ、恐れるな」を年間標語(聖句)に掲げ、わたしたちの牧者である主イエスがどのような道を開き、新しい景色を見せてくださるのか、楽しみに歩みを続けているところです。』。熱い思いで始まって以来、長い無牧や兼務体制の中で、現住陪餐会員4名。それは秋田飯島教会だけの特別な話ではありません。日本中の多くの教会で、そして例えば東京の北支区においてさえ、同じような現状を歩む教会はたくさんあります。奇しくも秋田飯島教会の24年度年間聖句が「小さき群よ、恐れるな」ということに驚きました。四谷が使うより、確かに飯島が使う方がふさわしい言葉です。だからこそ「「四谷新生教会」を「小さい」とするには勇気がいりました。」という言葉通りなのです。そういう複雑な思いの中で、今日はこの「小さい」ということを考えたいと思うのです。
 今北支区で話題の絵本があります。先日行われた北支区総会の開会礼拝で説教を担当された弓町本郷教会の西岡裕芳牧師が紹介された絵本です。
 それは今年1月末に行われた北支区教師部一泊研修会でも西岡牧師が発題の中で取り上げた「おおきなかぶ」という絵本。ロシア民話をトルストイが再話したものです。お爺さんが庭にカブを植えたところ、「あまいげんきのよいとてつもなくおおきいかぶが」できあがります。お爺さんの力では引き抜くことが出来ないので、おばあさんを呼んできて、それでも無理で孫を呼んできて、犬を呼んできて、ネコを呼んできて、それでもやっぱり抜けなくて、最後には小さなネズミを呼んできて、「やっと、かぶはぬけました」というお話し。
 もし現代的な価値観でこのお爺さんが直面している課題に向き合おうとしたらきっとこうなります。『お爺さんが庭にカブを植えたところ、「あまいげんきのよいとてつもなくおおきいかぶが」できあがります。お爺さんの力では引き抜くことが出来ないので、パワーのある強力な助っ人を雇い、あっさりかぶは抜けました。』。
 わたしたちは強く大きくあることが良いこと、望ましいことだと考えることが当たり前という社会を造り上げ、さらにその価値観を再生産し続ける現実の中で暮らしています。求められる「力」とは、例えばわたしよりはお相撲さん、という比較可能でしかも客観的に証明出来るもの。能力・経済力・軍事力などです。そういう力を「分かち合う」のではなく、そういう力を「独占する」。それが「成功」なのだという価値観がどんどん再生産される社会です。そして成功した者は「勝ち組」、到達しないものは「負け組」。つまり「小さい」事は「克服するべき課題」でしかありません。克服出来ないとしたら、待ち行く先は落後です。
 ところが「おおきなかぶ」はそうではない。おばあさんから孫へ、さらに犬からネコ、そしてついにはネズミです。加わる力はどんどん小さくなる。手間も時間もかかるし、それが解決になるなど普通は考えにくい。しかしネズミが加わったところでようやくかぶは抜ける。大きい者も小さい者も、それぞれがぴったりはまる場所がちゃんとある。一人ひとりが「持ち場」と呼ばれる場所、どんな存在でも持ち味が生かされ切る場所がちゃんと用意されているということでしょう。
 ルカ福音書は「思い悩むな」(12:29)というイエスの教えを伝えています。思い悩んでいないで先ず神の国を求めれば、「あなたがたの父は喜んで神の国をくださる」(32)と。だから「小さな群れよ、恐れるな」(同)とイエスは弟子たちを祝福されているのですね。であればイエスの考える祝福の根拠は、小さいことを克服したからとか、より強くなったからとかではない。あれこれ思い悩まずに先ず神の国を求め続けることが、イエスの考える神の祝福の根拠だということでしょう。
 わたしたちの求める神の国。それは力が跋扈し、力によってすべてを解決する国ではなさそうです。むしろどんな存在でも、その存在がピタリとはまり込む場所が用意されていて、その存在を共に分かち合いながら共生する場所こそ神の国。それを求めることを第1としようとイエスは呼びかけておられる。その招きに従って歩む1年としたいのです。

 祈ります。
 すべての者を愛し、導いてくださる神さま。一人ひとりの存在がぴったりとはまる。そんな場所が用意されているところこそ神さま、あなたの国です。わたしたちはこの世の価値観の中で生きています。しかし、あなたの価値観の元でいのちを存えることを望んでもいます。そこにあなたがわたしたちの信仰を見つけてくださることを信じます。思い悩むことなく日々のすべてをあなたに与えられた楽しみとして受け入れつつ、分かち合いつつ過ごしてゆくことが出来ますように。復活の主イエス・キリストの御名によって、まことの神さまにこの祈りを捧げます。アーメン。

四谷快談 No.209 見ることの出来る者は見るが良い

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