箴言8:1,22−31/黙示録21:1−4,22−27/マタイ10:28−33/詩編8:2−10
「知恵が呼びかけ/英知が声をあげているではないか。」(箴言8:1)
「箴言」とは旧約時代に受け継がれてきていた知恵の格言を寄せ集めた書物です。意味深い言葉、噛めば噛むほど味の出る言葉、時代を風刺した言葉などがちりばめられています。
今日お読みした箴言8章には、格言として納められている「知恵」がそもそも天地の初めから造られていたと記されています。「主は、その道の初めにわたしを造られた。」(同22)。このことばはヨハネ福音書のロゴス賛歌とよく似た響きをもっています。ヨハネは世界が創られるときにロゴスも神とともにいたと記し、箴言は天地創造の初めとして知恵が造られていたと記しているのです。
やがてこの知恵はヤハウェのもとで「巧みな者」(30)として成長し、人間たちとそれを喜び楽しんでいたのだと言うのです。今日読みませんでしたが32節以下では、だから知恵に聴き従い、その道を守れと勧められています。
原発体制を問うキリスト者ネットワークという市民団体で北海道大学の小野有五先生をお招きしてお話しして頂いたことがありました。当時北海道の寿都町と神恵内村が原発などから出る高レベル放射性廃棄物の最終処分地として文献調査に立候補していました。小野先生は地層に処分することの危険性を訴えておられる先生でした。
たくさんの資料を用意してお話しくださったのですが、その資料の一つにロシア南極観測基地であるヴォストークで掘削された氷床を分析した表をお示しになりました。氷の塊には二酸化炭素が閉じ込められていますので、それを分析することでその年代の空気中の二酸化炭素濃度を知る手がかりになるのだそうです。
その分析結果を表で示されたのですが、およそこの50万年ほどの間、空気中の二酸化炭素濃度は180ppmから300ppmまでの辺りで増えたり減ったりしていることがわかったそうです。小野先生はその範囲を指して「神さまが創られた環境」だとお話しになりました。ところが産業革命以後濃度はほとんど下降せず、2001年では380ppmにまで急上昇し、このまま行けば2100年頃には700ppm辺りにまで達することが推定できるというのです。二酸化炭素濃度と地球の温暖化の相関関係には様々な議論がありますが、小野先生は少なくとも人類の活動の結果が二酸化炭素濃度の増加であることは間違いない、それは神さまが創られた環境に反している、特に1945年の核実験以後、決定的な環境汚染が始まり、人類そのものの滅亡が見込まれる事態に陥っていると仰いました。
そして、文禄・慶長の時代に書かれたドチリナ・キリシタンというイエズス会によって作成されたカトリック教会の教理本をとって、「愛」を「御大切」と訳している箇所を示し、「神の愛とは神が世界のすべてを御大切になさっていることであり、わたしたちの神への愛とは神を御大切にすることで、それがキリスト教の中心。であれば、神こそ天地の創り主である故にその「天地」──自然のすべてを大切にすることが神への愛の行為、御大切という心であるとも仰ったのです。
小野先生の仰っておられた内容についてはある程度予測のつくことでしたが、その言葉は少なくともキリスト教の信徒であるわたしにはとてつもなく重く響く言葉でした。箴言の知恵がわたしたちに警告している事柄の、今日的な意味をわたしは小野先生の講演から知らされたのだと思います。
もう一度、今日読んだ先にある知恵の警告を味わいたいと思います。「さて、子らよ、わたしに聞き従え。わたしの道を守る者は、いかに幸いなことか。諭しに聞き従って知恵を得よ。なおざりにしてはならない。」(32−33)。「わたしを見いだす者は命を見いだし/主に喜び迎えていただくことができる。わたしを見失う者は魂をそこなう。わたしを憎む者は死を愛する者。」(35−36)。
神のつくられた世界を破壊しつくしているのが、神がご自分の御子を十字架に渡してまでも贖いとりたかったわたしたち人間であるという事実はなんという皮肉に満ちたことだろうかと思います。しかし、それにもかかわらず今、わたしたちは今の生活から得ている事柄、手にしている利便性、その全てを棄て去るような選択は出来ません。それがどれ程神を冒涜しているのかおそらく思い至らないまま進んでいくしかないのかも知れません。
それでも、知恵がわたしたちに発している警告を、わたしたちは警告として受け止める必要はあるでしょう。世界を破壊し続け、人を生かすこととは正反対の道に突き進み、力を賛美しそれを得ようともがく自分のあるがままを、そのまま肯定するわけにはいきません。神さまによって「御大切」とされたわたしと、同じように「御大切」とされた隣人とが、「主の造られたこの地上の人々と共に楽を奏し/人の子らと共に楽しむ。」(31)世界を何とかしてつくり出す道へと、小さな一歩を進めてゆく他はないのだと思うのです。
祈ります。
すべての者を愛し、導いてくださる神さま。あなたが世界のすべてをおつくりになったこと、そしてその世界を愛おしんでおられることを箴言は語り伝えます。その言葉に傾ける耳をお与えください。わたしは「今」を棄てる勇気がありません。しかし同時に「このままで良いはずはない」とも考えます。あなたが、主イエスを十字架につけてまで贖いとってくださるわたしであること、隣人であることを、心に留め続けることが出来ますように。復活の主イエス・キリストの御名によって、まことの神さまにこの祈りを捧げます。アーメン。