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2024
01Sep

四谷快談 No.179 サーバントリーダーシップ

  • 四谷快談

 台風で報道が少し影を潜めたのだが、兵庫県知事のパワハラ問題にいろいろと考えさせられることが多い。
 職員のアンケート調査では「おねだり体質」があちこちに暴露され、さらにたくさんのパワハラ事例が挙げられている。それでもその多くが「聞いた」という証言で、いわゆる当事者性を欠いている。であれば、ここぞ、とばかり日頃の鬱憤を晴らすチャンスに用いられている可能性も否定できない。そして、もしそういう心理が職員の間に働いたとすれば、それを引き起こしたのが他でもない、知事の「業務上の指導」なのだと思う。
 「指導」とはたいてい組織の上の者が下の者に行う行為。知事が県庁職員に業務上必要だから指導したのだと彼は言うのだ。つまり、だからパワハラではないのだ、と。
 家庭では上の者(つまり「親」)が下の者(つまり「子」)に対して指導=しつけを行う。親にとってそれが「しつけ」であるから虐待ではないのだ、と。
 しかし、指導かパワハラか、しつけか虐待かはそれを受けた側によって明らかにされて行くものだ。どれだけ道徳で「父と母を敬え」と教えられても、その子にとって虐待でしかないしつけを長年行われてきたら、そういう親をとても敬い得ない。同じように、県庁職員から「ここぞ、とばかり」次々と行為が暴露されている実態は、知事と職員との間に埋めようのない乖離が生じている証しだろう。職員にとって、それはしつけではなく虐待、指導ではなくパワハラだと感じさせる現実があったということ。
 たぶん知事は職員に対して明確なゴールを示せなかったのだ。職員に「一緒に目指そう」と思わせる何かが決定的に足りなかったのだ。そういう「指導」は一理もないのに。
 これは他山の石だ。キリスト教会の中に、教育現場の中に、たくさん転がっている事例。イエスが「サーバントこそリーダー」と言われた意味を、この際しっかり考えないとね。

「ひとは、歌わずにはいられない」星山京子牧師

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