長崎市が主催する平和祈念式典に駐日イスラエル大使を招待しなかったことを巡って、少なくともアメリカ・イギリス・フランス・イタリア・オーストラリア・カナダの6カ国駐日大使は欠席すると表明したそうだ。7月19日にはG7の6か国とEUの駐日大使が連名で『式典にイスラエルを招かないことはロシアなどと同列に扱うようなものだ』と、招待するよう呼びかけていたが、しかし長崎市側は「平穏かつ厳粛な雰囲気の下で円滑に式典を実施したい」として招待を見送ったのだとか。これを執筆しているのが9日午前なので間もなく式典が始まるところ。
一方、イスラエルを招待した上でその行為を批判する内容が含まれた挨拶を行った広島県知事が話題にもなっている。「現代では、矢尻や刀ではなく、男も女も子供も老人も銃弾で撃ち抜かれ、あるいはミサイルで粉々にされる」と。
このままでは世界がそうなることを容易に想像し(出来)ながら、しかし現実の社会/世界の中でそうならないための手立てを僅かでも前に進めてゆこうとする時、どうしても大きな力がそこに立ちはだかってしまうということだろう。
原爆によって世界大戦を終わらせることが出来たと今だに信じる人たちを何十年に亘って平和祈念式典に招いたところで、その立ちはだかる壁にヒビひとつつけられない。それは例えばわが国の内閣総理大臣の挨拶を聞けばわかる。「現実的かつ実践的な取り組みを進め、核軍縮に向けた国際社会の機運を高めるべく、国際社会を主導してまいります。」と、広島県から選出された総理大臣がどれ程力説しても、立ちはだかる壁にヒビを入れることを主導するでもない。かえってその壁がますます増強されることに手を貸しているかのようだ。
9日の昼をまわった。長崎での式典は粛々と進んだ。その祈りと願いがいつか花開くことを──どれ程不可能に見えたとしても──祈り続ける以外にない。
2024
11Aug