先日東京女子大学のキリスト教センターから電話があった。幼稚園時代に礼拝でわたしの話を聞いて育った学生から「大学礼拝の説教者に招いてほしい」というリクエストがあったのでお願いしたいという。随分手の込んだ勧誘だなぁと内心思ったのだが、基本的にわたしは「わたしのところまでお願いが廻ってくるのは切羽詰まっているに違いない」を信条としているので、今回も喜んでその役を承った。
「大学も夏休みに入っているので聴衆はそんなに多くないかも知れません」「礼拝の時間が全体で20分しかないので説教は最大8分程度です」とも告げられたが、まぁそんなものだろうと思い、でも限られた時間で伝えたいメッセージを伝わりやすく語る大きなチャレンジだとも思って準備し臨んだ。
アントニン・レーモンドというチェコの建築家が手がけたその礼拝堂はル・ランシーのノートルダム教会を模したと謂われる鮮やかなステンドグラスが美しい礼拝堂だった。開始時刻に礼拝堂に入ると、なんとほぼ満席。どうも礼拝出席をレポートしなければならない課題が出ていたとかで、いつもより参列者が多かったらしい。がともかく、パイプオルガンの響く中で用意したメッセージを語る。充分制限時間内だった。
礼拝を終えてチャペルの出口で学生たちを見送る。その列の中で一人が声をかけてきた。その人が今回この場所でメッセンジャーとなる機会をつくってくれた例の学生。本当だったのだ。
マスクを外すと見覚えのある面影。おとなしく控えめな、でも印象的なその子の幼稚園時代を一瞬で思い出した。12年前に卒園した毎週水曜日の礼拝を覚えていてくれたこと、今様々な思いを抱える中であの時を思い出してリクエストしてくれたことを、宗教センターの二人の教員と大学の教授、そしてその子とわたしの間に生まれたほんのりあたたかい空間で、みんな喜んで伺った。
冥利に尽きる。その言葉しか浮かばない経験だった。
2024
21Jul