二本松で有機農研を主催する大内信一さんという農家の方が、「原発を止めた裁判長〜そして原発を止める農家たち」という映画に登場する。自分の田は50年以上化学肥料も農薬も全く入れていない。その田んぼの25アールを使ってソーラーシェアリング水田計画を始めた。この1枚で20人が一年間食べる米が出来るし電気も20世帯が使えるという。
その大内さんが福島原発事故当時のことを語る。丁度3月は葉っぱをいっぱい広げていたほうれん草が真っ先に放射能を浴びた。もう農業は出来ないと思ったが隣の畑のネギはいくら測っても検出されない。だから出荷できた。ほうれん草が上から降ってきた放射能を全部受け止めて畑を守ってくれた。ネギは真っ直ぐ立ってすべすべしているから降ってくる放射能を受け付けない。土の中にある放射性物質も根からは吸わなかった。作物は肥料と放射性物質を見分ける力があると思った。豊かな土壌であれば野菜は生きる術を持っていると野菜から教えられた、と。
原発事故後10年間毎日検査を繰り返す中で、福島の農家は皆、土壌中に放射性物質はあるけれど植物はほとんどそれを吸わないことが体験的に実証できたし、「あぁ、やはりね」と当たり前の事実として受け入れてきたという。
50年を超える経験を有するベテランの農家が、それでもまだ野菜から教えられることがたくさんあるという。それはわたしたち人間に対する根源の問い(のひとつ)ではないだろうか。
わたしたちはどこかで卒業する。しかも極めて安易に。インターネットの発達も手伝って流行り廃りのサイクルが短くなった。「旬」という言葉が野菜や魚ではなく人や物事に置き換わる。旬を過ぎれば誰も見向きもしなくなる。
そうやって卒業を(ほぼ日々)繰り返してきたのだが、それで何を得たのだろう。精神や人間性までも消費(浪費)の対象にしてしまった者に、希望の未来など訪れるのだろうか。
2024
07Jul
四谷快談 No.171 知恵の宝庫
