言葉の捉え方が世代によって異なる表現はいろいろあるものだ。識者が「本来の使い方は…」などとしたり顔で解説することもよく見かけるのだが、もともと「コトバ」というのは時代の風を受けて変化する。「正統」とか「本来」ということだけに権威を持たせるそれ自体に無理があるかも知れない。
「煮詰まる」というコトバなんか典型かも知れない。料理をする人には言わずもがなだが、煮物が煮詰まるというのは料理として提供するベストなタイミングのことだ。煮詰まったらあとは提供するだけ。ところが「料理」が「議論」に置き換わると全く別の意味が生まれる。「煮詰まった議論」というのは「時間ばかり経過して展開が望めない」とか「結論が出せない」という状態を指すようになる。もちろん本歌としては「結論の出る状態」のことを指すわけだが…。
どうやら「詰まる」という語が悪戯しているようなのだ。「詰まる」のだから「出ない」のだ、煮ようが煮まいが。
今世間を賑わしている「政治資金改正法」。裏金問題の当事者である政党が「案」を提出したのは一番最後だったという。さぞかし「議論が煮詰まった」状態なのだろうと思いきや、ただ「詰まった」だけだったようで、力わざさえ通用しないシロモノ。そこで何とか他の力を借りて寄せ集め、とりあえず衆議院は通過したものの、これが「改正法」と胸を張るなどとてもとてもハズカシくて出来ないのではないかな。
このことでコトバに拘るのもどうかと思うけど、一連の裏金疑惑によって人々の心に生じたのは「政治不信」だった。もちろんその最たるものは「某政党不信」に極まるのだけれども、かといって単純に別の政党であれば良いとはならないのが「政治不信」だからなのだろう。今回もまた「身を切る改革」はしなかった。人々にはそれが積もり積もって来てしまったのだが…。
この国が煮詰まって行く。
2024
09Jun