エゼキエル37:1−14/使徒2:1−11/ヨハネ14:15−27/詩編104:24−30
「人々は驚き怪しんで言った。「話をしているこの人たちは、皆ガリラヤの人ではないか。どうしてわたしたちは、めいめいが生まれた故郷の言葉を聞くのだろうか。」(使徒言行録2:7-8)
聖霊降臨の出来事を伝えるのは聖書の中で唯一使徒言行録です。だからペンテコステにはほぼ必ず使徒言行録2章が読まれます。キリスト教で一番重大なお祭りであるイースターの出来事ならば4つの福音書すべてに、もちろん捉え方の違いや特徴はあるけれどもその出来事が記されています。キリスト教で一番ポピュラーな祭、クリスマスならば少なくともそのことについて触れている物語がマタイとルカのふたつありますし、救い主の誕生が旧約に預言されていたことの成就であると考えるなら、それを示唆する言葉は旧約聖書中到る所に見出せます。ところが、聖霊降臨については、少なくともイエスの約束と昇天に関わる出来事としては、使徒言行録以外に手がかりはないのです。ということは、この2章のどこに注目するか、ほとんど手の内はすべて明かされてしまっているということで、説教者にはなかなか辛いのがペンテコステです。
で、問題の使徒言行録2章を読んでみると、なかなかけたたましい状況だったのではないかと思えます。その時エルサレムは「天下のあらゆる国から帰って来た、信心深いユダヤ人」(5)がたくさん集まっていました。そんな中で「突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。」(2)のです。その部屋にいたすべての人が驚いたに違いありませんが、この物音はその程度では収まらなかった。「この物音に大勢の人が集まって来た。そして、だれもかれも、自分の故郷の言葉が話されているのを聞いて、あっけにとられてしまった。」(6)のでした。今日読んだちょっと前、1章15節によればこの部屋には「百二十人ほどの人々が一つになっていた」とあります。その人たちみんながこの日同じ体験をしたのかどうかはわかりません。でも弟子たちの周りにはそれぐらいの人が集まっていても不思議ではない状況だったということはわかります。そしてこの激しい物音がした途端、その人たちが一斉に様々な国や地域の言葉で神を讃美しだした。ものすごい音だけでなく、その後の喧噪も想像できますね。だから周辺の人たちは「あの人たちは、新しいぶどう酒に酔っているのだ」(2:13)と言ったのでしょう、無理からぬことです。
大勢の人が、いろいろな国の言葉で「神の偉大な業を語っている」(11)その状況をいろいろ想像している時に、映画の一場面を思い出しました。1984年に公開されアカデミー賞8部門を受賞した「アマデウス」です。モーツァルトの生涯をアントニオ・サリエリの口を通して語らせた作品です。この映画の中で、オーストリア皇帝ヨーゼフ2世が禁止しているにもかかわらず「フィガロの結婚」を作曲していることが知れ渡り、皇帝の前にモーツァルトが呼び出されるシーンがあります。せっかくですのでちょっとその場面を見てみましょう。
2重唱3重唱4重唱5重唱、8重唱が全くセリフなしで20分続く。モーツァルトが力説しているとおりオペラだから可能なのです。お芝居なら皆が同時に喋ったらわけがわからなくなる。でもオペラは、20人が同時に歌えば美しいハーモニーになる。
「神の偉大な業」を語るのに、どれが、どの方法が一番良いのか考えさせられます。力強いユニゾンも偉大さとか荘厳さが伝わるでしょう。でも例えば小さなつぶやきでも、20人のつぶやきが合わされば、神の国の偉大さ荘厳さが、豊かさとして美しいハーモニーとなるかも知れません。わたしたちは小さな群ですが、しかしここで捧げられる小さなハーモニーは間違いなく「神の偉大な業」を響かせています。時を同じくしてこの国中で、そして世界中で、様々なハーモニーが奏でられ、それぞれがそれぞれの言葉で「神の偉大な業」を賛美している。それをちょっとでも想像したら、わたしたちはなんと素晴らしい、そしてとてつもない業を担う一人であるだろうかと思えてなりません。
モーツァルトが言うように、一人ひとりが違うことをセリフとして話したらそんなお芝居はわけがわからない。だけど、一人ひとりが違う言葉でも、それに音楽が乗れば美しいハーモニーになる。「違い」は「ハーモニー」によってこそ生かされる。ペンテコステの出来事はエルサレムに美しいハーモニーを響かせる出来事だったのでした。神の国とはそういうところなのかも知れません。
祈ります。
すべての者を愛し、お導きくださる神さま。一人ひとりが違うようにつくられ、一人ひとりがそれぞれに神さまと出会った。その喜びを呟く時、神さまあなたはそれをハーモニーにしてくださいます。一人ひとり、一つひとつの違いに調和をもたらすのは、神さま、あなたの業です。あなたの業によってわたしたちはそれぞれ一人ひとりでありながら、美しい調和の中に迎え入れられている。感謝します。聖霊の力によってそのことを心から信じる者とならせてください。復活の主イエス・キリストの御名によって、まことの神さまにこの祈りを捧げます。アーメン。