テレビで2時間ドラマがたくさん放映されていた頃、その主役はサスペンスだった。どの局もいろんな曜日にサスペンス枠を持っていた。その主流はいわゆる旅もの。トラベルミステリーなどと呼ばれる。
そしてトラベルミステリーと言ったらやはり西村京太郎と山村美紗が両巨頭。スゴい量の本を出版した二人でもある。
私も本では西村京太郎が好きで、高校生の頃から安価な文庫本を、高校から帰省する長旅の汽車の中で何冊も読んだりした。
読んでいる時はストーリーやトリックに集中しているのであまり気にならないのだけれど、改めて本を開いた時に、西村京太郎はくどいほど読点をつける人だったことがわかる。「適切な句読点の付け方」などを指南するWebページがたくさんあるが、読点を多数用いるのはだいたい減点対象(例えば「×写真を、撮ってもいいですか。」「○写真を撮ってもいいですか。」みたいな)。西村さんの文章は減点対象なのだ。しかし、どれだけ減点対象だろうがナンだろうが、あれだけ売れているのだ、問題なし。
なんでこんなことを思い出したのか。それは「マルハラ」ということがマスコミで取り上げられているからだ。SNSなどで「。」で終わる文章が送られてくると威圧的に感じる、ということらしい。ただそう感じるとかたまに感じる若い女性は多くて4割。逆に7割は「感じない」と答えてもいる。つまり文末の「。」は即ハラスメントとはほとんど考えられていないのだが、さもハラスメントだという主張が多いかのようにミスリードされてしまっているのではないか、と思ったのだ。
文章に句読点をつける方法がスタンダードになったのは明治39年文部大臣官房図書課が示した「句読法案・分別書キ方案」が初めだという。ナンにせよ、言葉(文字)が伝わりやすく、という意図。相手が在ってのことだ。
「マル」が「ハラ」かどうかもやはり関係性にかかるのだなぁ。
2024
10Mar