生涯で「自粛」ということをおそらく初めて聞きあるいは使ったのは昭和天皇崩御の時だったかもしれない。もう随分前からかの病状が逐一ニュースとして報道されていたから、まぁ近いんだろうなと思っていた神学校の4年生。あいにくインフルエンザで週末から寝込んでいて、1月7日は土曜日、開けて翌日代々木中部教会の礼拝を欠席。何せ「歌舞音曲」こそが「自粛」されていた訳で、同級生たちからは「礼拝自粛かぃ?」などと揶揄われたのを思い出す。代々木中部教会には南新宿か新宿の駅を使うのだが、伊勢丹などのデパートも喪章や半旗が掲げられ、通りも閑散としていたらしい。その世相を体験できなかったことが悔やまれるが、インフルエンザだ、しかたあるまい。
そして2度目の強烈な「自粛」が3・11だった。印象に残っているのはテレビが毎日毎日被災地からの情報だけになり、民放特有のCMがおよそ4日間完全になくなったこと。しかも再開後はほぼ全部「ACジャパン」に乗っ取られ(?)たこと。テレビでのことが顕著だっただけで、「自粛」されたものは他にもたくさんあったのだが、10年以上経ると残る印象はどうしたって「ポポポポ〜ン」だけになってしまう。
大きな震災や悲惨な自然災害などもこの間たくさんあったし、近いところでは「コロナ禍」も様々な「自粛」があふれ、さらに「自粛警察」などという摩訶不思議な現象まで起こった。
と言いながら、ここまでわたしは「自粛」にカッコをつけて表記している。辞書でひいたら「自分から進んで、行いや態度を改めて、つつしむこと」となる「自粛」だが、これまでわたし自らが決意して災害や政変に「自粛」したことなど一度もない。他者から強いられる「自粛」なんてそもそも言葉の意味からしてヘンなんだけど、こういう時も悪貨が良貨を駆逐するのだな。
この年頭「自粛」の強要が現れやすい状況になってしまったが、他者様からの「自粛」要請はご遠慮申し上げる。お構いなく。
2024
07Jan