小栗善忠先生が帰天し28日、先生が都合28年間奉仕された原町田教会で葬儀が行われた。
小栗先生はインマヌエル教会牧師だった博二さんの息子で、四谷新生教会の安藤千嘉さんの兄上。博二さんは招集を受けフィリピンにて戦死。先生10歳の時だったという。その後上野高校定時制に進み、そのまま日本聖書神学校に入学、卒業してすぐに四谷新生教会の伝道師となりお連れ合いの雅子さんと結婚。さらに岩手県・花巻教会(12年)、その間遠野教会と遠野聖光幼稚園園長を兼任(8年)。そして原町田教会で28年牧会にあたり、神戸聖愛教会に8年。その8年の間には四谷新生教会の代務者も務められた。2010年に神戸を辞任してから町田に家を求めて住むようになり、一時原町田教会の代務者も務めたが2012年に隠退された。この間教団新生会委員長や日本聖書神学校の同窓会長、当時東京教区西支区の支区長などを務められた。
2007年にわたしが川崎教会に赴任した時、わざわざ神戸からひょっこりと就任式においでくださって驚いた。「委員長だもの、お知らせを受けたら出席するさ」と気さくでフットワークの軽い人だった。善忠先生が新生会委員長だった頃は、わたし(たち)は若気の至りで先生に散々論争をしかけ困らせたものだった。わたしたちにとっては厳しい追及も謂いやすい雰囲気を持つ先生だったことを良いことに、相当やんちゃをやらかしたなぁ。
話は違うが、教団新生会には「3白」がいた。若い頃から髪の毛が真っ白の3人。ひとりは三崎町教会などで働かれた作道至示先生、2人目は小栗善忠先生、3人目は我が教会の井口延さん。特に延さんと善忠先生は背格好も面立ちもどこか似ていて、善忠先生のお孫さん文ちゃんが井口さんを「お爺ちゃん」と呼んでしまったという逸話が残っている。その時から文ちゃんにとって井口さんは「いい(井)爺ちゃん」と命名されたとか。
善忠先生とわたしの足跡は驚くほど重なっているのも不思議。
2023
31Dec