イザヤ52:1−10/ローマ11:13−24/ヨハネ7:25−31/詩編47:1−10
「いかに美しいことか/山々を行き巡り、良い知らせを伝える者の足は。彼は平和を告げ、恵みの良い知らせを伝え/救いを告げ/あなたの神は王となられた、と/シオンに向かって呼ばわる。」(イザヤ52:7)
「パーツモデル」という職業をご存知でしょうか。モデル、特にファッションモデルは今さら説明の必要がありませんよね。様々なメディアに露出することが多いので、今ではモデルなのかタレントなのかバラエティアイドルなのか、区別がつきにくい時代です。
パーツモデルというのはそういったテレビやメディアの表舞台ではなく、例えばコマーシャルなどで用いられるモデルです。パーツというくらいだから、例えば手や指、足専門のモデルです。中には髪の毛やおしり、スゴイのは瞳、そんな部分のパーツモデルさんもいらっしゃるそうです。仕事の相手はほぼメーカー企業だといいます。顔や全身スタイルは問われないのだそうですが、パーツだけが綺麗でいる、ということはやはりあまりないんだそうです。むしろパーツだけで勝負するために、そこにかけるケアの費用も相当嵩むんだとか。なかなか大変なお仕事だなぁと思いました。
どうしてこんな話をしたかというと、今日お読みいただいたイザヤ書、説教の冒頭にお読みした箇所が引っかかるんです。「いかに美しいことか/山々を行き巡り、良い知らせを伝える者の足は。彼は平和を告げ、恵みの良い知らせを伝え/救いを告げ/あなたの神は王となられた、と/シオンに向かって呼ばわる。」(イザヤ52:7)。文法からみると、「美しい」という修飾語は「足」にかかっていますね。「美しい足」と言ってるんです。だから直裁的に「足」のモデルさん、そしてパーツモデルさんのことをちょっと調べてみたくなったんですね。
化粧品や素肌、特に足のケア商品のコマーシャルのために使われる「足」専門のモデルさんなら確かに「美しい足」と言って差し支えないでしょう。でもイザヤが言っているのはそういうモデルさんのような「足」ではありません。「山々を行き巡り、良い知らせを伝える者の足」のことです。今から2500年程前の第二イザヤの時代です。戦争があり祖国滅亡があり捕囚があり帰還があった。荒れ果てた祖国を行き巡って、神による解放の知らせを伝え歩く人です。その人の「足」が「美しい」と言う時、それはモデルさんの足とは真逆でしょう。でもその「足」が「美しい」のです。イザヤは「足」そのもののことではなく「足」がもたらす絶対的な喜びの知らせをこそ「美しい」と言っているのです。その結果、その喜びを伝えもたらす「者の足」が「美しい」と。
苦しみと困難のまっただ中に置かれた者たちに「平和」と「救い」を伝える、「恵みの良い知らせ」を告げるために駆け回り汚れ傷ついたその姿を、この預言者は「美しい」と、そこに美しさを見出したのでした。
行動し、語り、そのために傷つき汚れる姿を「美しい」と見た。それはわたしたちのよく知るイエスの姿そのものではなかったでしょうか。
イエスは、差別され、のけ者にされ、痛めつけられ、苦しめられている人たちの真ん中にいて、その人たちと出会い、その傷を労り、救いと解放の「良い知らせ」を告げ、その結果ご自身も差別され、のけ者にされ、痛めつけられ苦しみにあいました。
もちろん旧約聖書には救い主の到来は語られていません。でも、これまで見てきたようにアブラハムやモーセを通して、神の救いのわざは確かにわたしたちの上に引き起こされてきました。ユダヤ教を信じる人たちにとっては、確かにメシアの到来はまだまだ先のことです。でもメシアの到来を確信させる神さまの救いのわざは既に何度も歴史上明らかにありました。だから彼らは希望をもって信じて待つことが出来るのでしょう。
しかしわたしたちは、イエス・キリストにおいて神の救いのわざは到来したと信じています。2000年前彼は確かに「良い知らせ」を告げる「足」だったのです。そのイエスが、圧倒的な「良い知らせ」をこのわたしにも、もたらしてくださったのです。
今日わたしたちは、そのイエスのお生まれを、そして世の終わりには再び来たりたまうことを待ち望むアドヴェントの期節を迎えました。わたしたちも詩編の作者と一緒に、救いの神をほめたたえます。
「歌え、神に向かって歌え。歌え、我らの王に向かって歌え。
神は、全地の王/ほめ歌をうたって、告げ知らせよ。
神は諸国の上に王として君臨される。神は聖なる王座に着いておられる。」(詩編47:7−9)
お祈りします。
すべての者を愛し、お導きくださる神さま。国が滅び、混乱の中でも、神さまの救いのわざは進んでゆきました。困難の極みであっても、神さまのご計画は恵みとしてそこにあり続けました。その喜びを伝える者の、駆け回り汚れ傷ついたその姿をイザヤは美しいと言いました。神さま、あなたの救いのご計画こそ、何よりも美しいことだったのです。
そのあなたの救いのご計画が、目に見える「人」となってわたしたちの間に住まわれました。その救い主をわたしたちの間にお迎えする、そのために自らを整えるアドヴェントを心から感謝します。神さまの救いのご計画を心から信頼し、喜びをもってその時の訪れを待つことができますように。復活の主イエス・キリストの御名によって、まことの神さまにこの祈りを捧げます。アーメン。