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2023
19Nov

四谷快談 No.138 選択には意味がある

  • 四谷快談

 「情報が多すぎて、却って自分で選べない」という理由で、ネット上で好みや体型の悩みを伝えるとスタイリストが服装を選んでくれるというサービスが人気だそうだ。普通に暮らしていたらスタイリストさんなんてほとんど無縁だが、こういう場合こそ「餅は餅屋」なのかも。しかし確かにスマホ時代を象徴するニュースかもしれない。
 「情報」に飢えてそれを漁るためにスマホにかじりつき、挙げ句氾濫する「情報」に振り回され、決断さえ躊躇わせてしまう。「情報」がないと判断出来ないのに、溢れかえる「情報」のために逆に判断出来なくなる。求めるモノに逆に振り回される滑稽な姿こそ、現代人のありのままなのかもと思わせる。
 「情報がすべて」というトレンドの中で、「信仰」などというまるで中世の忘れ物のようなオールドファッションの世界では、判断するのに情報に頼らないという信じがたい現実がある。「神」の存在を証明しようとしても無理だが、「神がいない」ことの証明もまた無理なら、情報追求を棄てたところに「信仰」が顔を出すのだから。「もっと聖書を学んでから」はそうだが、学んでも学んでも次から次からわからないことばかりに出くわして、やがて神の前に白旗を揚げざるを得なくなる時、「信仰」が顔を出すのだ。逆に言えば情報を集めても信仰は顔を出さない。
 一方で、「情報が多くて判断出来ない」という命題が偽ではないかという気もする。判断出来ないのは「情報が多い」からではなく、自分で考え判断する経験が少ないことに由来するのではないか、という疑問だ。失敗恐怖症に陥っている人たちにとっては「判断」という自己責任を負わないで済むならそうしたいと願うだろうし、個人の判断・決断を邪魔者扱いする社会の圧力も日増しに強まっているように感じる。気のせいだと良いのだが。
 幼児といえども、だから彼らの選択には意味がある。そう大人が信じるところから、保育の「ほ」が始まるのではないか。

「アブラムからアブラハムへ」滝澤 貢牧師

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