マルコ10:23−25
ラクダという動物を知っていますか。見たことのある人はいますか?
このシルエットなんかはいかにもラクダのイメージですね。私は山口県に住んでいた時、隣の周南市にある徳山動物園に良く出かけていきましたが、そこにラクダがいました。
日本で有名なのは鳥取砂丘でしょうか。鳥取砂丘にはヒトコブラクダが3頭、フタコブラクダも3頭いて、ヒトコブラクダの1頭だけが雄なんだそうです。鳥取砂丘ではラクダに乗ることが出来るそうです。で、このラクダには乗ることが出来ます。こんな感じですかねぇ。ここだけ見たら日本だなんて信じられないかも知れません。やっぱりラクダは砂漠が似合う気がしますね。
ところで、いま、ヒトコブラクダとフタコブラクダと言いました。名前がラクダの体を表しています。野生のヒトコブラクダはもう絶滅してしまいました。フタコブラクダだって中国とモンゴルの砂漠地帯に、全部で1000頭ぐらいしかいないそうです。でもラクダは鳥取砂漠にもそれから動物園にもいます。展示している動物園は少ないんですけどね。徳山動物園も調べたら今は展示していませんでした。ラクダといえばほとんど人に飼われている家畜です。世界中に1400万頭くらいいるそうです。そのうちの90%がヒトコブラクダであとの10%がフタコブラクダなんだそうです。
ラクダの大きさはどれくらいでしょうか。さっきの絵で見ると、乗っている女の人の倍くらいの背丈がありそうですね。ヒトコブラクダはだいたい背の高さが2メートルを超えるくらいだそうです。10万年ほど前に生きていてもう絶滅してしまったシリアラクダというのがいました。これは大きなラクダでだいたい4メートルほどあったそうです。キリンと同じくらいですかね。
聖書にもラクダが出て来ますよ。旧約聖書の一番最初の書物、創世記にはなんと22回も出てきます。新約聖書ではイエスさまがラクダのことを話しています。マタイにもマルコにもルカにも出てきますが、みんな同じ話です。「金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい。」。福音書ではこれ以外にはバプテスマのヨハネさんがラクダの毛皮を着ていたということが書かれているだけです。面白いですね。創世記の方にたくさん出てくるということは、昔々のユダヤの人たちにとってラクダは身近な動物だったということかも知れません。こんな生活をしていたということでしょうか。
イエスさまはラクダの話と一緒に、縫い針の穴のことも話しています。「縫い針」って言われても良くわからないかも知れません。これです。スライドで見るとなんだかでっかいけど、長さはせいぜい5センチくらいでしょうかね。この頭の方にある穴に糸を通して、布を縫い合わせる時に使います。今は縫い物をすることも珍しいかも知れませんね。ここに本物をひとつ持ってきました。見えますか。わかりやすいように糸を通しておきました。針の頭の穴はとても小さいので、私は糸を通すことが苦手です。老眼になって、見え難くなっちゃったんです。
イエスさまが仰った今日の言葉は「金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい。」ということです。この、私には見えにくいこの穴に、背の高さが2メートルもあるラクダが入っちゃうことの方が簡単だ、と。何と比べて簡単かというと、人が神の国に入ること、中でもお金持ちが神の国に入ることと比べているのです。でも考えてみて。このラクダが、この針の穴を通るんですよ。そんなの無理じゃん。でもそんな無理なことより人が神の国に入ることの方がずっと難しいって。ということは、人はだぁれも神さまの国になんか入れないっていうこと。イエスさまはそう言っているのです。困ったよ。
で、イエスさまのお弟子さんたちもそう思ったんだ。困ったなぁ、って。聖書には「「それでは、だれが救われるのだろうか」と互いに言った。」(26)と書いています。するとイエスさまはお弟子さんたちを見てこう仰いました。「人間にできることではないが、神にはできる。神は何でもできるからだ。」(27)。人は自分の力で神さまの国に入ることなんてぜったいに出来ない、でも、神さまなら人を神さまの国に入れることが出来る。神さまはラクダが針の穴を融なんて出来っこないことよりもっともっとずっと難しい、人が神の国に入ることを、神さまに救われることを、なにより神さまが願っていらっしゃるんだと教えてくれたんだね。
お祈りします。
神さま。どんな人でも、人が自分の力で神さまの国に入ることなんてぜったいに出来ないのだとおそわりました。でも、神さまが決めて下さり、神さまがやって下さるなら、人も神さまの国に入ることが出来るのだと、イエスさまは教えてくださいました。神さまはわたしたちみんなを救おうとなさっています。そのことを信じることが出来ますように。このお祈りを、イエスさまのお名前によっておささげいたします。アーメン。