牧師住宅の玄関前、道路を挟んで反対側、ちょうど玄関前の辺りに外灯が一つ付いている。道路の向こう側はとても大きなS邸とその広い庭。緑の芝生と幾つもの樹木が美しい。
この外灯は外の明るさに反応して点灯・消灯する。朝方や夕暮れにはだから点いたり消えたり忙しい。
この外灯の白っぽい光におびき寄せられたのだろうか、S邸の樹木に止まった蝉が、夜も夜中も鳴き続ける。蝉が鳴くのは気温と明るさ(=時間)の要因があると聞いたが、夜中にけたたましく鳴いている蝉の声を聞くと、なんだか断末魔の叫びか、あるいは搾取され働かせられ続けている者たちの瀕死の声のように聞こえて、鬱陶しいながらに哀しくさえなる。
「光害」という言葉があることを知った。「夜間照明のもとにはエサとなる大量の昆虫が集まり、捕食者にとっては豪華な饗宴の場が形成されるのであり、それが続くと昆虫は食べ尽くされていなくなり、捕食者もやがてはエサがなくなるのでいなくなる、という関係が想起されるのである。」(「生きものを苦しめてきた『光害』」亀山章 日本自然保護協会理事長 同Webより)。
3・11から暫くは夜の町から街灯や街明かりが消えて、当時住んでいた川崎の繁華街もヒッソリしていた。コロナ禍の頃も特に飲食店が目の敵にされて、繁華街の光は軒並み消えかかった。あらゆる規制が取り払われたこの夏、外灯・街明かり・イヴェントのイルミネーションやプロジェクションマッピング等々、光の量が増大しているのだろうなぁ。
ドイツでは昆虫の種類・数が減少しているという調査結果を受けて、人工的な光による夜行性昆虫の被害を抑制する政策を打ち出しているという。ナルホドなぁ。
夜中の蝉の声に哀しみを感じる感性はあながち無意味ではなさそうだ。ひょっとしたら自らのいのちを費やして人間の将来に激しく警鐘を鳴らしているのが、蝉なのか。いやいやかたじけなむ。