エゼキエル34:1−6/使徒8:26−38/ルカ15:1−10/詩編23:1−6
「さて、主の天使はフィリポに、「ここをたって南に向かい、エルサレムからガザへ下る道に行け」と言った。そこは寂しい道である。」(使徒8:26)
1945年6月23日。沖縄で日本軍による組織的抵抗戦が終了したとされている日です。沖縄県では県条例によってこの日を「慰霊の日」と定めました。島は23日早朝から祈り一色に染められると言います。けれども、本当は沖縄戦で殺された市民の多くが、実はこの日以後に受難しているのだという事実は案外知られていません。統計によればいわゆる「沖縄戦」によって亡くなった市民の80%もの人が、6月23日以後に亡くなっているそうです。結局「終結宣言」は「終わりの日」ではなかった。戦闘行為そのものは9月7日まで続けられました。これは牛島中将が自決に際し「爾後各部隊ハ各局地ニオケル生存者ノ上級者コレヲ指揮シ最後マデ敢闘シ悠久ノ大義二生クベシ。」と指令していたことに関係があります。
2016年6月27日付けで発行された雑誌「AERA」には、その牛島中将の孫である牛島貞満さんの記事が載っていました。
それによると、6月25日に大本営が「全戦力を挙げて最後の攻撃を実施せり」と発表したその途端、本士では沖縄地上戦報道がピタリと止んだそうです。そして8月15日以降は「戦後」という新しい時代が始まり、まだ沖縄では戦闘行為が続いていたにもかかわらず、本土のメディアでそれが取り上げられることはほとんどなくなったのだと。貞満さんは「本土の防波堤の役割を終えた沖縄に対して、本土の人々の関心は向かなかったのです」と仰っています。
改めて、この貞満さんの指摘を考えてみたいと思います。これまでわたしたちは毎年6月のこの季節に「沖縄の日・教団創立・旧6部9部弾圧記念礼拝」を捧げてきました。1941年から4年ほどのとても短い間の、しかも6月23日、24日、26日というこの近い3日間に起こった日本のキリスト教をめぐる事柄が、わたしたちの信仰にとって極めて重大な問題を今も投げかけ続けているという確信があったから、わたしはいわゆる3大祭り以上にこの日を重大に受け止めてきました。歴史上の出来事を反面教師として今これからのわたしたちの教会のあゆみに資するものでありたいと思ったからです。
ところが、貞満さんのこの指摘を受け止めるのであれば、わたしのこういった思い、この日を記念する思いを根底から受け止め直す必要があるのではないかと感じるのです。3つの連続したこの日が日本のキリスト教に極めて重大な問題を投げかけているのは動かしようのない事実です。でも、それが例えばわたしたちが宣べ伝えるキリスト教に反する者のせい、福音よりも世俗に寄り縋ろうとした当時の教団指導者のせい、ひょっとしたら悪魔の声に聴き従ったせいと思ってきていたのではないか。そんな気がしだしたのです。
しかし6月25日以後、それまでは熱を帯びて伝えられてきた沖縄地上戦について、本土では全く報道されなくなった。示し合わせたかのようにそうなったということは、少なくとも沖縄で6月23日以降それまでより4倍以上も犠牲者が膨らんでいるその最中に、それをそのままに放っておいてわたしたちだけが別の未来を夢見始めていた、その証拠であり根拠なのだということです。
沖縄に大きな犠牲を背負わせているまさにその日々に、わたしたちは早くも「戦後」の姿を心に思い描き、沖縄に「死」が膨らみはびこっているさなかに、「本土」では、自分がどう生き延びるかだけを考え始めていたということ。そこから考えたら、当時の教団指導部が何らの議論もなさないままで、九州教区沖縄支教区を切り捨て抹消することに1ミリも心が痛まなかった理由がわかるのです。その心根の救いようのない冷たさは、誤った指導者とか悪魔とか、つまりわたしではない誰かの心がわたしの意志に反して行ったことではなく、疑いようもないわたし自身の心がそれを平然とやってのけたのだ、ということを意味している。そうやって手に入れた繁栄に乗っかって、例えば「日本基督教団と沖縄キリスト教団の合同の捉え直し」という課題を「沖縄のわがまま」として議論を終結し、合同特設委員会を解散したのが戦後の日本基督教団、2002年第33回教団総会でした。それから22年を経ていますが、わたしたちの意識に幾ばくかでも変化は訪れたでしょうか。残念ながら存立そのものが課題となる教会の危機感だけが膨らんでいるのではないでしょうか。
「主の天使はフィリポに、「ここをたって南に向かい、エルサレムからガザへ下る道に行け」と言った。そこは寂しい道である。」(使徒8:26)。どうして主の天使はわざわざ「寂しい道」に行け、と命じたのでしょう。人が大勢いる賑やかな、伝道の効率の高い場所に赴けというのではなく、寂しい場所に、実りなど全く期待もできない場所に天使はフィリポを行かせる。その「寂しい道」に光を掲げることこそが神のわざだったからとしか言いようがありません。
わたしたちはこの教会がここに建つことの意味を、神のわざから始めるしかないのです。それはわたしたちの目にはどう見ても「当然」ではない。わたしたちの考え得る最良の方策でもなんでもない。でも確かに神の方策なのです。そのことを信じて「寂しい道」に歩みを進めることが、本当に出来るでしょうか。
祈ります。
すべての者を愛し、お導きくださる神さま。今年もこの季節をあなたは与えてくださいました。わたしたちの過去にわたし自身の犯した罪を、今また直視せよというあなたの迫りです。やり過ごしてしまいたくなる、誘惑に満ちた季節です。しかしこの朝、わたしたちは再びあなたの前に立つことを選びました。わたしたちの犯した罪が消えることはない以上、そのことを軽んじたり忘れ去ったりしない、せめてその業を自らに課すことが出来るように、神さまの赦しの眼差しの中でわたしたちを導いてください。復活の主イエス・キリストの御名によって、まことの神さまにこの祈りを捧げます。アーメン。