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2023
11Jun

四谷快談No.115 社会をメンテナンスする必要

  • 四谷快談

 先週は近所の神社の例大祭があって家の前も神輿が練り歩き、園児・卒園児も多く担ぎ手として回ってきた。4シーズンぶりの本格的な祭で参加する人たちは皆良い笑顔をしている。

 ある小学校の運動会の話。今年も学年別に競技が公開され、親は子どもの出番の度に学校へ行っては戻るを繰り返すのだそうだ。子どもの方も学年の出番以外は教室に戻って授業を受けるのだと。「コロナ禍はいろいろ大変なのだね」と言うと、どうやらそうではないらしいのだ。コロナが始まるだいぶ前から運動会とはそういうモノになっていたのだと。

 小学校だとか中学校だとかは地域のコミュニティの中核だった。わたしが小学生の頃といえばもはや半世紀以上も前なのだが、その頃の運動会は皆大きなゴザや重箱を抱えて、親戚家族総出で校庭に集まった。裏門(実際門なんてなかったけどね)の周りには露天商が店を出してもいた。言ってみれば地域のお祭りだったのだ。足の遅いわたしとしては運動会はなかなかキビシイことではあったのだけど、そういう弱点も大人たちの酒の肴だった。

 今では競技(競うからこそ「競技」なんだよね)は全くなしでだからもちろん組み分けされた色の対抗戦もなしなんだと。足の遅いわたしは50年早く生まれてしまったことを悔いるけど、運動会こそ人生最大の(大げさ!)見せ場だったあの友人たちは、そんなんじゃ立つ瀬がないじゃないか。

 鎮守の神社はこの時代であってもやはり地域のコミュニティの中核を担っている。政教分離の危うさはとても漂うのだけどね。一方そういう心配の全くいらないはずの学校(教育委員会・文科省)は、もはやコミュニティの中核を担おうという気概も努力もすべて置き去りにしてしまったようだ。

 今、この国で一番大事なのは、ことばの厳密な意味での保守を担当する者たちではないだろうか。保守、つまりメンテナンス。与党? いや、彼らは一番「改革」を叫んでいるじゃない?

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「罪がゆるされた」滝澤 貢牧師

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