広島市は市立の全小中学、高校の平和教育プログラムを初めて見直すという。小学3年向けの教材でこれまで用いられていた「はだしのゲン」を「漫画の一部を教材としているため、被爆の実態に迫りにくい」などとして削除するらしい。その際に現場の教師から「物語の前後の流れや時代背景を児童に説明する必要があり、授業の時間内で被爆の実態を伝えることが難しいといった意見が出ていた」という。
「ひろしま平和ノート」は市教育委員会が作成した教材だそうだが、あの大作の一部を切り取って掲載し、授業で「充分に背景を説明できない」から削除するという決定に至ったと聞いたら、「何やってんだ」とやはり思う。広島市教育委員会指導第一課は「継承と発信という平和学習の目的のため、学習内容として、よりよいものを検討した結果だ」とコメントしたらしいが、なんだかね。
道徳が教科になって、評価の対象となるのもヘンな話しだが、戦争について学ぶのに「授業時間内で納める」という発想がそもそも間違いではなかろうか。道徳とか平和教育とかは、毎日毎日の生活が、心が、そこに向かっているかどうかなのではないか。とってつけたように時間を区切って、「今日のテーマは戦争と平和ね」「今日のテーマは“心”ね」みたいなことが、可能だとは思えない。
被爆地広島で「はだしのゲン」が削除されるという事柄が、その本意はともかくどのように伝わるか、何がメッセージとして発信されてしまうかには考えが及ばなかったのだろうか。そういう中で5月にサミットを引き受けられるのか。
教育委員会とは「教師」を管理することにいのちを賭ける組織だ。それを証明するいくつかの体験がわたしにはある。今回のことも、教員に充分な教材研究の時間を与えれば良いのではないか。不必要な「報告書」だの何だの、教師の時間を奪ってまで提出を迫ることの方が遙かに問題ではないか。