イザヤ55:1−11/ローマ15:4−13/ルカ4:14−21/詩編19:8−11
「わたしの口から出るわたしの言葉も/むなしくは、わたしのもとに戻らない。それはわたしの望むことを成し遂げ/わたしが与えた使命を必ず果たす。」(イザヤ55:11)
先週は何百年も待ったユダヤの人々の歌を取り上げました。約束が果たされることを信じて待つ、気の遠くなるような長い長いスパンのお話です。
今日読まれた3つの聖書は、すべてイザヤ書が関係しています。旧約聖書はもちろんイザヤ書55章でしたが、ローマの信徒への手紙15章12節に引用されているのはイザヤ書11章です。また、ルカ福音書4章でイエスが読んだ巻物はイザヤ書61章にある言葉です。
イザヤ書は時代の異なるおそらく3人若しくは3世代を貫いて書かれている預言書で、トータルすると200年以上の時間の差があります。だから便宜上第1イザヤ、第2イザヤ、第3イザヤと区分されたりします。そして今日取り上げた3つの聖書箇所に割り振られ引用されているのは、ローマの信徒への手紙では第1イザヤ、福音書では第3イザヤ、そしてイザヤ書55章は第2イザヤです。
つまり3つの聖書箇所がイザヤ200年の歴史を貫いて選ばれているのです。単なる偶然なのかあるいは聖書日課編集者の意図があるのか、どちらかでしょう。でも、偶然にせよ故意にせよ、その結果際だって見えてくるのは、イザヤが200年にも亘ってメシア預言を述べ伝え続けてきたのだという事実です。メシア預言とは、つまりは「約束」、神さまからの約束なのです。
55章は第2イザヤとしては一番最後の章です。第2イザヤはバビロン捕囚の末期から捕囚の解放、そしてエルサレムへ帰還する激変の時代の預言者です。彼は神からのこんな召命を受けます。「慰めよ、わたしの民を慰めよと/あなたたちの神は言われる。」(40:1)。彼は神の裁きではなく神の慰めを語る者として立てられたというのです。そして時代の風を敏感に感じ取ります。捕囚からの解放は、バビロニアの力が弱まり、変わって台頭したペルシャ、その王キュロスの力によって実現するのですが、歴史の風向きが変わってきていることをキャッチし、最初の頃はキュロスこそがメシアであるとまで述べていました。「主が油を注がれた人キュロスについて/主はこう言われる。」(45:1)。
イスラエルの背きによって国が滅んだわけです。契約の相手であったイスラエルが神に背いた。北王国は南ユダより早くに国が滅びます。そして預言者たちはその滅びの原因がヤハウェの神に対するイスラエルの背きだったとみるのです。例えばその時代の預言者ホセアに対して神は、その3番目の子どもの名前を「ロ・アンミ」と名付けさせます。「主は言われた。「その子を/ロ・アンミ(わが民でない者)と名付けよ。あなたたちはわたしの民ではなく/わたしはあなたたちの神ではないからだ。」」(ホセア1:9)。しかしホセアは、神はそのイスラエルを回復してくださるとも告げます。「あなたたちは兄弟に向かって/「アンミ(わが民)」と言え。あなたたちは姉妹に向かって/「ルハマ(憐れまれる者)」と言え。」(ホセア2:3)。全く同じように南ユダ王国が滅ぶ。そして神が滅ぶことを許したイスラエルがしかしその神ご自身によって回復される希望、それを慰めとして語ったのが第2イザヤでした。彼がヤハウェに対して抱いた信頼はその預言の最後の言葉にハッキリと現れています。「わたしの口から出るわたしの言葉も/むなしくは、わたしのもとに戻らない。それはわたしの望むことを成し遂げ/わたしが与えた使命を必ず果たす。」(イザヤ55:11)。ヤハウェの神こそがわたしたちを救い、わたしたちを慰める。バビロニアのあらゆる偶像礼拝と偶像礼拝への強制という宗教的危機状況にあっても、ヤハウェへの信頼を失ってはならないと励まし続けたのが第2イザヤだったのでしょう。
その預言の言葉、励ましの言葉をわたしたちは今、このアドヴェントの時に聴くのです。わたしたちが直面させられているこの時代を神は見捨てられたのか。神などいない、神など死んだとでも言うかのように、人間が思いのままその力を振るい、知恵と技術が神の領域にまで達したと自分たちを誇る時代のど真ん中で、そうではない、やはり神はこの時代にあってもわたしたちの神であり、困難なときにあってわたしを慰めてくださるまことの神なのだ、という第2イザヤの確信、その響きを聴くのです。
それは神の「望むことを成し遂げ」神の「与えた使命を必ず果たす」かたがおいでになることを必然的に待ち望むことになるでしょう。かつて強大なエジプトの力からイスラエルを解放した神が、かつて力を誇ったバビロニアからエルサレムへの帰還を導いた神が、かつてそれが世界のすべてであったローマ帝国の支配のど真ん中に、神の言葉の成就としてキリストを遣わした神が、今また神さまの「望むことを成し遂げ」「使命を必ず果たす」かたを再び遣わしてくださることを、わたしたちは待ち望むのです。
祈ります。
すべての者を愛し、お導きくださる神さま。人間がその力を誇る今この時、神さま、あなたが望むことを成し遂げ、その使命を果たすために、再び救い主を送られる日をわたしたちは待ち望んでいます。人間の力を信じすべてを委ねてくださったあなたの御心を思い、その思いに応えたいと願いながら、わたしたちは何も出来ないと自分を閉じ込めてしまっています。あなたがわたしたちの心を開き、再び救い主を受け入れるための準備を進めさせてください。復活の主イエス・キリストの御名によって、まことの神さまにこの祈りを捧げます。アーメン。