エレミヤ33:14−16/ヤコブ5:1−11/ルカ21:25−36/詩編25:1−14
「その名は、『主は我らの救い』と呼ばれるであろう。」(エレミヤ33:16)
幼稚園などのクリスマスで歌われる「幼児さんびか」に「かみさまのおおやくそく」という歌があります。3節まである歌の歌詞を紹介します。聞いたことのある方も大勢いらっしゃるでしょう。
1節はこう歌っています。『昔ユダヤの人々は/神様からのお約束/尊い方のお生まれを/嬉しく待っておりました。』
2節、『尊い方のお生まれを/みんなで楽しく祝おうと/その日数えて待つうちに/何百年も経ちました。』
3節、『ある日天の御使いは/喜びなさい神の子が/みんなのためにお生まれと/高いお空で告げました。』
この歌詞で、昔ユダヤの人々は何百年も待ったのだと歌っていることに衝撃を受けます。現代に生きるわたしたちは待つことが極端に少なくなりました。待たないことこそ現代文明なのです。
昔は文通などという交流がありました。お手紙のやりとりをするわけですから、相当筆まめな人であればこそすぐにお返事を書くこともあるでしょうが、それでもお手紙が送られてそれに対するお返事が送り返されて来るとそれだけで1週間は経過しました。今人とのやりとりは、例えばLINEなら返事が来なかったら一日なら我慢できるという人が36%だったという調査があります。その調査で総合すると1〜3日なら何とか待てる人の割合が57.5%なのだそうです(Oggi.jp調べ)。手紙のやりとりで最低1週間は当たり前だったついちょっと前の時代から見ると信じられません。それにしてもネットで検索すると「せめて1日は待ちましょう」というページが膨大にありました。返事が来ないことをたくさんの人が経験していて、それに対してどうすればよいか多くの人が悩んでいる、ということでしょうか。自分で考えろ! と突き放してしまいたくなりますね。
しかしユダヤのひとたちは何百年も待ったのです。先日アブラハム物語を読みました。サラが「来年の今頃、男の子が生まれている」と語る主の使いの言葉を笑ってしまうお話でした。これまで待って待って待ち続けさせられたサラが示した正直な反応です。女性故にもはや待っても無駄だということを自分のからだで日々感じ取っている、そのサラに本当の喜びの笑いが与えられるお話です。彼女はおそらくアブラハム以上に待ち続けてきた人なのです。神がサラとアブラハムになさったことは、神とイスラエルとの関係を端的に表すシンボルなのでしょう。
「見よ、わたしが、イスラエルの家とユダの家に恵みの約束を果たす日が来る、と主は言われる。」(エレミヤ33:14)。その日が来るということをどれ程の感慨を持ってイスラエルは受け止めたことでしょう。約束は空しいものにはならなかった。神さまは約束を反故にはされなかったのです。たとえ契約の相手であるイスラエルが何度も何度も神さまを裏切ったとしても、神さまの方から約束を破り捨てることはなさらなかった。今まさに国が滅ぼうとしているイスラエルに預言者として立てられたエレミヤが、激しく苦悩する中でしかし神の真実を見たのです。約束を果たされる神の姿をエレミヤは確かに見ていた。そしてそこにしか救いも慰めもないことを見ていたのです。「その名は、『主は我らの救い』と呼ばれるであろう。」(同16)。
果たしてその時はいつなのでしょう。今日わたしたちはアドヴェント第1主日を迎えました。「アドヴェント」とは「到来」という意味です。つまり神が到来していることをわたしたちは知っている、と告白しているのです。ですからアドヴェントは昔々主イエスがお生まれになったことを憶えて、それを祝う日を「待つ」だけの意味ではなく、主が再び来られることを「待つ」日々でもあります。そして驚くべきことにわたしたちは主が再び到来していることを知っているというのです。もちろんその「時」がいつなのかを明確に知っているということではありません。しかし神さまが約束なさることは必ず実現するのです。その最適な時を神さまが決めていらっしゃる。ひとりひとりにはそれぞれ異なった「時」が神さまによって定められているように、この世界にも神さまが定められた「時」がある、「時」が来る。そのことを信頼してわたしたちは今、「待つ」季節を迎えるのです。
祈ります。
すべての者を愛し、お導きくださる神さま。わたしたちは誰かによって決められた「時」に振り回されて生きています。そしてその「時」は変えられないものなのだと信じ込み、あるいは言い聞かせて自分を無理に従わせて生きています。しかし、時を定め給ふのは神さま、あなたです。あなたが定められたその「時」をもう一度思い起こさせてください。あなたの言葉は必ず実現する故に、それを待つわたしたちの歩みを祝福してください。復活の主イエス・キリストの御名によって、まことの神さまにこの祈りを捧げます。アーメン。