Ⅱコリント1:3-7
今日の神学校日に、日本聖書神学校よりこの四谷新生教会へ参りました東出英幸と申します。現在神学校の2年生に在籍しています。みなさまとお会いできますことを喜ばしく思います。そして神学校に入り一年半が経とうとするこの日、みなさまの前でお話させていただく恵みに感謝いたします。
簡単に自己紹介しますと、私は大阪で生まれて、滋賀県で育ちました。高校・大学と学生時代は京都で過ごし、社会人になって勤務先の会社の都合で東京と関西を行き来してきました。従いまして、今東京都内で住んでいても何ら違和感をなく、日常を過ごすことができます。日本聖書神学校へ入学する前は、大阪府に住み会社に勤めていました。
今日この礼拝でお話することは、私が献身を心に決めた出来事とその思いについて、コリントの信徒への手紙二と共に語って行きたいと思います。
まず始めに私の献身の契機となったお話しから始めます。
今から、4年半前の2018年2月も終わろうとしていた頃、私の母は買い物に出かけた先のデパートで倒れて、救急によって総合病院へ緊急搬送されました。その頃、私は大阪に住み、母は奈良県に住んでいて、住居を別にしていました。二人ともノンクリスチャンでした。急報を受けた私は搬送先の奈良県の総合病院を訪れたわけですが、そこで思いもかけない話を医師から伝えられました。「末期ガンです。原発は大腸のようですが、すでに肺や脳にまで転移が見受けられます。治療を行うにもそれに耐えうる体力もない状態です。予後1か月程でしょう。」撃的な内容でした。母は倒れるまで日常生活は普通に過ごしているものとばかり思っていました。気丈な母でしたので、まさかとは思いましたが、たしかにその一ヶ月前に母に会ったときには、少し弱々しい雰囲気を感じました。しかし、それは私の気のせいだろう、とその時は思っていました。
医師は「治療を無理に行うより、緩和ケアで療養された方が良いでしょう。症状についてはご家族からご本人にお伝えされますか、それとも私からお伝えしましょうか」と言いました。私は「緩和ケアが良いと思います。症状は私が母に直接伝えます。」と答えました。
それから数時間後、私は母に末期のガンであることと医師の見解を伝えました。母は粛々とそれに耳を傾けていました。末期ガンであることはきっと承知していたのでしょう。「ここから先は緩和ケアが良いと思うよ。ホスピスなど…」と私が言いかけると、母は間髪入れずに「ホスピス!ホスピスに入る!」と強く訴えかけました。自宅のある奈良県内の緩和ケアが充実した病院への転院を考えていたのですが、母が望んだのは大阪市内にある「淀川キリスト教病院」のホスピスだったのです。以前、母は仕事の関係で淀川キリスト教病院のホスピスのことを聞いて、知っていたようでした。日本のホスピスの草分け的であることは私もうわさでは聞いていました。搬送先の総合病院のケースワーカーに転院の打診と今後の手続きをお願いしたところ、淀川キリスト教病院のホスピスへの転院希望者は多く、待機中に逝去される方がたくさんいらっしゃるようだと、私に話してくれました。これを受けて、念のため奈良県内の緩和ケアのある別の病院も押えておくようにしました。
ところが、淀川キリスト教病院の病床に空が出たと、ケースワーカーに連絡があって、直ちに転院の準備に着手することになりました。「こんなことめったにありませんよ!打診してすぐに空きが出るなんて奇跡です。」とケースワーカーが言うほどです。それから直ぐに、家族と病院側の事前面談に参加しました。ホスピスに入院してからの要望を聞かれたので、「チャプレンにお会いして話をさせてください」と伝えました。転院を希望する母から、「入院後に洗礼を受けたい」と言われていたのです。早速、チャプレンの先生方とお話をして、洗礼を希望することを話しました。そして正式に転院が決まり、淀川キリスト教病院・ホスピスでの入院生活が始まったのです。さて、母の入院後、私は毎日午前中病床へ見舞うことにしました。3月の年度末は携わっている仕事の忙しさがピークに達する時期です。しかし、母と会話が出来る期間、意識がある期間が僅かばかりしかないと感じましたので、仕事に支障が出ないように日常の時間管理を厳しく切り詰めることにしました。体力的にも精神的にも苦しい状況だったと思いますが、母の方がさらに苦しいであろうと思い、そこは自己管理を徹底しました。そうして入院して2週間が過ぎるあたりに洗礼式を病院礼拝堂で執り行われることになりました。
かつて母はミッション系の学校に在籍中、洗礼を望んだのですが、家族の反対で叶わなかったそうです。それがこのホスピスで成就することとなったのです。そこからは天に旅立つ日までを穏やかに過ごしていました。
ちなみにこの洗礼が執行される前に一人のチャプレンから、「英幸さんも洗礼を受けてはどうですか。」と勧められました。その時、私は迷うことなく「はい」と答え、母とともに洗礼を受けることになります。祝福を共有できた喜びがありました。ただそれ以上に、母の死を目前に私の不安な気持ちが取り除かれていったのです。それは一体どうしたことだろうか?と自問しながらも、言語化できない不思議な経験として胸に秘めていました。
ところが、聖書を読む中で、その自分の不思議な経験を準える御言葉があることに気付きます。それが今日選びました聖書箇所です。
そんな今日の御言葉はコリントの信徒への手紙二 1章3節から7節を取り上げています。次にこの御言葉をつぶさに見て行きたいと思います。
パウロはこの手紙をテモテと共に、コリント教会とコリント教会が所在していたアカイア州の信徒に向けて記しています。とりわけ様々な難しい課題を持っていたコリント教会でしたが、この教会の信者たちのことを(1章冒頭にありますように)「聖なる者たちへ」と称して、この手紙を差し出しているところにパウロの信仰姿勢を感じることができます。つまり、パウロとコリント教会の間で、どのような行き違いがあったとしても唯々イエス・キリストと共にある信者たちには真剣に向き合う、そんなパウロの姿勢を感じるのです。 またコリントの信徒への手紙二は、「苦難と慰め」という言葉が、まるでテーマであるかのように何度か出てまいります。コリント第一の手紙が、主にコリント教会からの質問へ答えて行くことが中心だったものと異なる様相を示しています。
この「苦難と慰め」をパウロの手紙を通して観てみます。 苦しみに襲われたとき、苦しみの不安と恐れに悩まされるのが人間でありましょう。私が病床の母に寄り添い、そしてその病床にある母の姿を観て、私自身ではなんら解決しようもないジレンマと現実に対して、いくら恨んでみても、また心の中で足掻き苦しんでみても、母の病状や私の落ち着かない心が回復することはまずありません。その事実こそが人間の弱さそのものです。しかし、そんな弱い人間の苦しみの中に、神が入って来てくださることがあります。その神の介入を力強く経験することで、神の「慰め」を知ることができるのです。
ここで思い出すのは、淀川キリスト教病院のチャプレンの先生が、イエス・キリストの贖いについて話してくれた出来事です。病床の母とそこに付き添う私はその話を黙したまま聞きました。心を静かに、「私たちの罪を背負って十字架につけられたイエス・キリスト」の話を聞き、そしてその場に神の存在を想起したのです。まさに苦しみと不安の中にあったからこそ、この想起は瞬時に私の心の奥に届いたといえます。母も同様でありました。すなわち死を目前にしての投げやりな言葉が無くなって行ったのです。また希望していた病床洗礼がその何日か後に執り行われて、キリスト者として安らぎを得られたのでした。さらにその受洗後二週間を経て、母は天に旅立つわけですが、その臨終の間際は苦痛を伴うことなく、せん妄もなく、ゆっくり枯れるように旅立って行ったのでした。人生の最後の時が、穏やかで安らぎで満たされること、それはまさに「救い」なのではないでしょうか。
「慰めを豊かにくださる神」とパウロは記します。苦しむ者は愛のある神の御手にあるという確信があるからこそ、この確信を他の人たちに伝え分かち合うことができると、そうパウロは語りかけているように思います。
加えて、パウロ自身も弱い人間であるので、苦難の経験に悩まされましたが、しかし神によって与えられた慰めは、その苦しみ以上にパウロの内面に満ち溢れたのです。それが故に、パウロはその慰めを自分ひとりで黙しておくこととせずに、この手紙で高らかに伝えようと強い意志でもって訴えかけたのではないかとも感じます。
4節から6節を見てみましょう。
『神は、あらゆる苦難に際してわたしたちを慰めてくださるので、わたしたちも神からいただくこの慰めによって、あらゆる苦難の中にある人々を慰めることができるのです。(4)』『キリストの苦しみが満ちあふれてわたしたちにも及んでいるのと同じように、わたしたちの受ける慰めもキリストによって満ちあふれているからです。(5)』『わたしたちが悩み苦しむとき、それはあなたがたの慰めと救いになります。また、わたしたちが慰められるとき、それはあなたがたの慰めになり、あなたがたがわたしたちの苦しみと同じ苦しみに耐えることができるのです。(6)』
苦しみを分かちあうことで、キリストの苦しみにかかわる事ができます。キリストがわたしたちのために苦しみを受けられたことで、わたしたちはイエス・キリストのために苦しみ、他者に対しても苦しむことができるのではないでしょうか。
私は母の死に直面した中で、大きな苦しみを経たわけですが、それがチャプレンとの出会いを通して、神の慰めに満たされました。イエス・キリストと苦難を分かち合えたと確信する経験があったからこそ、悲観に暮れるのでなく、日常を真っ直ぐ進むことができたのです。
やがて私は、イエス・キリストの苦難を受け止めることで、自分の苦しみが、癒され、慰められて行った経験を、他の苦しみを受けている人たちと分かち合えるようになりたい!そのような存在になりたい!と願うようになりました。
そう、淀川キリスト教病院で出会ったチャプレンの先生方のように。そこに献身に進む嚆矢が放たれたのです。
この手紙に書かれている苦難と慰めは、奇しくも私の献身の動機と大きくつながっています。牧会者となって、苦しさを抱える人々とイエス・キリストと共に苦難を分かち合える、そのような存在を追うようになりました。
そして、牧会者として私がこの先、共同体に臨む場合にも、この「コリントの信徒への手紙二」は私に教えてくれることが多くあります。
すなわち、パウロがコリント教会の信徒たちと、苦難を通じて神の慰めを分かち合うことを訴えかけていることこそが、まさにそれです。神の慰めの中に希望を見出して、この希望も分かち合えることを望んだのです。そこには、よろこびが見出され、お互いのつながりがより強固なものとなるのではないでしょうか。そのように恵みが与えられることが伝わってくるのです。
この恵みの賜物に感謝して、今週も歩みを進めて行きましょう。主はいつも共にあるのですから。
祈ります。
主なる神、今日の神学校日、こうして四谷新生教会の礼拝にお導きいただきまして、感謝いたします。 今朝は「苦難と慰め」を御言葉を通して、あなたが共にあって、苦しみが分かち合えることを改めてこころに留めることができました。現在、私たちを取り巻く世界では、様々な争いが繰り広げられています。特にウクライナとロシアの戦争は終わりが見えない様相です。争いのある中、苦しみが生まれます。その苦しみが新たな苦しみを作り出さないように、どうか慰めが与えられます様、主よどうか、あなたがお導きください。
また私たちの健康が脅かされる新型感染症の終息もまだみられません。不安募る日常と緊張感に疲れを覚える人たちも多いと思います。どうか平安と安らぎが与えられますようにお祈りいたします。新たな一週間、私たちの歩みを祝してください。この祈り主イエス・キリストの御名によって、御前にお捧げいたします。アーメン。