咄嗟に頭の中に湧いたのは「にわかには信じがたい」という思い。送迎バスの中に園児を置き去りにしてしまうという事態が起こる状況を想像することができないのだが。
川崎教会に赴任する際、条件として「大型自動車の運転免許を取得してきてください」と提示された。幸い車の運転は好きだったから防府の自動車学校に喜んで通った。指導教官はかなりの年配の人だったが、初対面の運転席から「あれかい、お兄ちゃんもリストラ組なの?」と真顔で聞かれた時には吹いた。そうか、リストラされて大型免許を取る人ってけっこういるんだ、とその時初めて実感した。その年6月には「中型免許」が導入されることになっていたが、3月初めには無事取得できたのだった。
牧師で教員免許状を持っている人は少ないだろうと思う。だけど仕事によっては無免許で(余人を持って代えがたい場合は可)幼稚園や保育園・こども園の園長を担うことも当然あり得る。
保育は出来ない(そもそも「園長」は保育しないと法律にある)。だが園の管理全般はそれこそ園長の仕事。非常事態に園バスの運転をするなんて当たり前だ。その時「不慣れだった」などということがたとえ事実としても言い訳に使ってはなるまい。しかも降車時に添乗の職員共々車内の確認をしなかったのだ。やはりにわかには信じがたかった。
ところが報道によるとむしろ確認しないことの方が常だったという。ならばこれは起こるべくして起こったこと。100人を超える利用者の方々には申し訳ないが、そういう園だったのだと改めて認識した方が良い。
「ヒューマン・エラーはどこでも起きる」と言う。だからそのエラーを補完するためにAI導入とも。だがタブレットでの出欠確認は功を奏さなかった。つまり、考え方が逆なのだ。エラーが必然なら、起こさないための地道な努力こそが求められるという順序。地道なことは地道にやる以外にない。