幼稚園のお泊まり保育が終わった。
以前は軽井沢まで新幹線に乗って出かけていたというが、宿泊場所が閉館となり、教会と幼稚園を使うようになったのだが、翌年はコロナで行事自体が中止になった。昨年は何とか再開できたので、今年が教会・幼稚園を使った3回目である。
今年の子どもたちを見ていると、おそらく家庭でたくさん甘えさせてもらって育ったのだろうなと思えた。
どこにそれを感じたのか。例えば夜眠るとき、大体は不安になって涙する子が数人はいるのだけれど、今年の子どもたちは30分もしないうちにみんな寝入った。朝も起床時間より先に目ざめたのは3人で、しかも不安が原因ではなかったのでみんなが目を覚ます時間まで静かに過ごしていられた。だからと言って、なんでも出来る優秀な子どもたちだというのではない。手がかかる子も実はたくさんいる。でもこの子たちは──上手い言葉が見当たらないのだが──他者に対して信頼が出来るようなのだ。何か出来ないことがあって困ってもパニックを起こさない。誰かに助けてもらう。もらえる。中には大人に丸投げしたがる子もいるのだけど、教師たちも然る者、それを上手に自分で出来るように気持ちを向ける。そうすると少し時間がかかっても出来る。
こういうことはにわかにはモノに出来ない。家庭で充分に甘えることが許され、その長い時間をとおして基本的信頼関係が出来つつあるに違いない。安定している子たちが別にリーダーを担うでもなくなんとなく他の子たちに影響を与えて、友だちと一緒ならナントカなるという空気をクラスに満たしているようだ。
IcTの時代、なんでも手もとの端末操作でしかも素早く手に入る。だけど「人」はどうしても速達では育たない。成長促進剤はない。仮に飛び級できたとしてもどこかで行き詰まったとき振り出しに戻らなければならなくなる。急がば回れということか。
通信障害に大騒ぎだった週に、なんだかホッコリしたなぁ。