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2022
10Jul

「無数の人に連なる」滝澤 貢牧師

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エステル4:10−5:8/使徒13:13−25/マルコ6:14−29/詩編33:4−11

 「神は約束に従って、このダビデの子孫からイスラエルに救い主イエスを送ってくださったのです。」(使徒言行録13:23)

 今日エステル記が読まれました。聖書日課でエステル記が読まれるのは珍しいかも知れません。

 宗教改革者と呼ばれるルターはこのエステル記について「あまりにもユダヤ教的で好感が持てない。ない方が良い」と言ったとされています。本当かどうかわたしはその言葉に行き当たりませんでしたので分かりません。ただ、エステル記には確かに「神」とか「主」というような言葉は全くありません。だからキリスト教から見てどうかという議論は起こる可能性があります。

 一方、物語自体はとてもスリリングでおもしろいですね。今日お読みいただいた部分だけでは何のことなのか良くわかりません。かいつまんで言うとペルシャ王アハシュエロス、クセルクセス一世とも呼ばれますが、彼は自分の妻=王妃クシテが自分の言うことを聞かないので、代わりに当時捕囚の民であったユダヤ人のモルデカイが養女として育てていたエステルを王妃として迎えます。一方王に次ぐ第2の権力者となったのがハマンでした。彼はモルデカイが自分に敬意を表さないので激怒し、全てのイスラエル人を絶滅させようと企みます。もともとハマンは税金取り立て請負の元締めで、徴税に反抗的なユダヤ人に日頃から反感を募らせていました。で、モルデカイの不敬事件を大げさに扱って王に取り入り、絶滅計画を実行する日をくじで決めるのです。

 その絶滅計画実行の日が差し迫った中、モルデカイは王妃エステルにイスラエルを救うために行動を起こせと迫る。板挟みになるエステルは悩みますが、決断して行動を起こし、大どんでん返しが始まります。モルデカイを木にかけて殺す用意をしていたその木に逆にハマンがかけられて殺されるという大団円を迎えました、という物語です。

 虐殺日をくじで決めたという謂れによってイスラエルは「くじの祭り」を日本の2月から3月にかけて行います。大変賑やかで楽しいお祭りで、日本で言うとハロゥインのような仮装行列が行われます。そのお祭りの中心がエステル記の朗読で、聖書の中で「ハマン」という言葉が読まれると人々は挙って持っているガラガラを鳴らしたり床を踏み鳴らしたりするのです。

 「神」や「主」という言葉こそ出てきませんが、エステル記の物語は、出来事の陰にあって人々にはハッキリとは見えないけれども、神のご計画が人間の思いをこえて働くのだという、救いの出来事の証言そのものです。バビロニアによって捕囚となったイスラエルはペルシャによって解放されます。それがどういう経緯で、一体その変化に何があったのかは分かりません。世界史的な事情があったのだと思います。しかしわたしたちは出来事の表面ではなく、歴史をも司る神の御心をこの出来事に見るのです。エステルは歴史上の人物ではなく創作です。しかし歴史的事実以上のリアリティが彼女の物語には確かにあるのです。

 ピシディアのアンティオキアに渡ったパウロとその一行は安息日に会堂に座ると、人々から求められて言葉を語ります。今日お読みいただいた使徒言行録の箇所はパウロの長い説教の前半です。そしてここで語られていることこそ、イスラエルの歴史をとおして働かれる神の救いの計画と、その物語そのものです。「神は約束に従って、このダビデの子孫からイスラエルに救い主イエスを送ってくださったのです。」(使徒13:23)。

 読まれた部分はバプテスマのヨハネがその生涯を閉じるまででした。つまり、ここまでの歴史は全てイエスを証言しているのだとパウロは言いたかったのです。事実このあとに続く長い説教の後半はイエスの生涯とその苦難、十字架の死、そしてよみがえりです。そのことがバプテスマのヨハネに至るまでの間に多くの人々によって証言されてきたのです。長い時間をかけて証言されてきたことが今、イエスの上に現実のものとなった。その驚きと喜びをパウロは人々に告げました。だからそれを聞いた人々は心躍り、心動かされ、さらに多くの話を聞きたいとパウロたちに願ったのでした。

 わたしたちにはこれまでもずっと道が示されてきていたのです。逆に言うならば、道を示し続けることこそが神のご計画だったということなのかも知れません。わたしたちキリスト教徒は、イエスに於いて神のご計画は誰の目にも明らかになったと信じているわけです。そしてイエスの死後、隠されていてイエスによって明らかになったその道は、さらに多くの人々によって担われ、証しし続けられてきたのです。道を指し示すためにこれまでに召された多くの、無数の人たちがいて、わたしたちはその無数の人たちの列に今連なっているのです。わたしたちが進むべき、目指すべき方向は、「今連なっている」という事実にあるのですね。

 祈ります。

 すべての者を愛し、お導きくださる神さま。主イエスによって明らかになった神さまの救いのご計画が、主イエスに続く無数の人たち、夥しい人たちによって担われ、証しし続けられて、今わたしたちの下にまで届けられました。わたしたちがそれを担って、証しする人々に連なるためです。それこそが神さま、あなたのご計画であると教えてくださいました。感謝します。喜んでその列に連なる者となることが出来ますように。復活の主イエス・キリストの御名によって、まことの神さまにこの祈りを捧げます。アーメン。

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