歴代下15:1−8/使徒4:13−31/マルコ1:29−39/詩編69:17−22
「主よ、今こそ彼らの脅しに目を留め、あなたの僕たちが、思い切って大胆に御言葉を語ることができるようにしてください。」(使徒4:29)
今日お読みいただいた使徒言行録は、聖霊降臨によってコミュニケーションの力が宿った弟子たちのその後の働きを示しています。彼らは早速閉じこもっていた部屋を出て与えられた賜物を用いて、人々にキリストの出来事を語り始めたのでした。その活動の最初に出会ったのが生まれながら足の不自由な男の人だったのです。ペトロとヨハネは彼に向かって「ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい」(3:6)と語ります。癒しの奇跡が起こったように見えます。けれども彼らは奇跡を起こそうとしたのではありませんでした。そうではなくただイエスの名を語ったのでした。それは彼らが唯一「持っているもの」(同)だったというのです。癒やしの奇跡を起こす力ではなく、他言語がペラペラ語れるようになった語学力でもなく、ただ「イエス・キリストの名」です。
生まれながらに足の不自由な人が立ち上がったというニュースはたちまちエルサレムに広まり、当然律法学者や大祭司たちの耳にも入りました。彼らは苛立って二人を捕らえ尋問し、脅します。しかし驚くべきニュースはエルサレムの人たちの間に広まり、しかも当の直った本人が側にいるのを目にしては、それ以上のことをするわけにも行かず、結局二人を解放します。そして二人が仲間たちのところに戻って一緒に感謝の祈りを捧げた、その祈りの言葉の最後の部分が、冒頭にお読みした聖書の箇所でした。「主よ、今こそ彼らの脅しに目を留め、あなたの僕たちが、思い切って大胆に御言葉を語ることができるようにしてください。」(使徒4:29)。
彼らが真剣に祈ったのは、権力者の脅しが迫っている今、沈黙するのではなく語ることができるようにということでした。そのような時であるからこそ口を閉ざすのではなくむしろ大胆に語ることができるように、そのことによってたとえ不利なことや危険なことが起こったとしてもそれでもなおそこに立ち続けることができるようにということでした。
日本基督教団は1998年の第31回総会で「日本基督教団は21世紀に伝道の使命に向けて全力を注ぐ」という決意表明を可決し、続く32回総会では「日本基督教団は21世紀に向けて青年伝道の使命に力を注ぐ」という決意表明を可決しました。暦はまもなく2000年を迎えようとしていました。その感傷があってのことでしょうが、これらの宣言はまことに勇ましいのです。そして、この勇ましさに、何となく聞き覚えがあったのです。いつだったのか、しきりに心の中で警告ブザーが鳴り出したのです。覚えがありました。1940年10月17日に青山学院校庭に於いて行われた皇紀2600年奉祝全国基督教信徒大会。もちろんわたしはこの大会を知っているわけではありません。しかし文献を読むと、その大会がいかに熱気に溢れ勇ましいものであったか容易に想像がつきます。この信徒大会には2万人が出席しました。そしてこんな宣言が読み上げられました。「神武天皇国を肇(はじ)めたまいしより茲(ここ)に弐千六百年 皇統連綿として彌々(いよいよ)光輝を宇内に放つ此栄(このはえ)ある歴史を懐(おも)うて吾等転(うた)た感激に堪へざるものあり 本日全国にある基督信徒相会し虔(つつ)しんで 天皇陛下の万歳を寿(ことほ)ぎ奉(たてまつ)る」。さらに、「以て茲(ここ)に吾等は此記念すべき日に方り左の宣言を為す」として、「一、吾等は全基督教会合同の完成を期す」と高らかに宣言したのです。
かたや皇紀2600年を寿ぎ、この記念すべき時に全基督教会合同の完成を期すと宣言し、かたやキリスト降誕2000年を迎えて伝道の使命、青年伝道の使命に全力を注ぐという勇ましさ。まるで似た響きです。前者は国家の戦争に教会もまたすすんで協力する道を開きました。後者はどうでしょう。かつての痛い経験から、国家に迎合することは避けられたものの、その結果距離を置きすぎて、有事法制や周辺事態法、教育基本法の改悪や憲法の改悪までもなんのアクションも起こせないまま来てしまっています。
あの弟子たちの祈りを思います。「教会が守られるように」との祈りに先立って、何よりもペンテコステの出来事がわが身の上に起こるようにとの祈りを捧げることができるでしょうか。語る力を与えたまえ、和解の言葉を携える力を与えたまえ、と。その祈りが本当に捧げられる時、「一同の集まっていた場所が揺れ動き、皆、聖霊に満たされて、大胆に神の言葉を語り」(同31)出すことができるのでしょう。
祈ります。
すべての者を愛し、お導きくださる神さま。生まれたばかりの教会は、ユダヤ教やユダヤ当局との軋轢を避けられませんでした。生まれてすぐに苦難の時代が到来したのです。しかし弟子たちは苦難の時代に「語る力が与えられるように」と祈りました。戦争の時代のさなかにあって、今、あの弟子たちの祈りを思います。この時代にわたしたちが成すべき務め、あなたから委ねられた務めを担う力を与えてください。復活の主イエス・キリストの御名によって、まことの神さまにこの祈りを捧げます。アーメン。