四谷に住んでちょっと嬉しいことは、歩いて2分程度のところに美味しい鯛焼き屋さんがあること。
この店はドキュメント番組で取り上げられたり、失敗しない女医が店先で鯛焼きを食べるシーンで有名になったようだ。ちょっとわかりにくい小径にあるので、スマホを手に店を探す人々をよく見かける。で、小径のその先にはカステラの専門店、道路を渡れば京和菓子店、さらに三丁目方面に歩けば「イチゴ豆大福」発祥の和菓子店、散歩感覚で青山や赤坂や神楽坂などの和菓子店にも立ち寄れる。もちろん「洋」もあるけど、やっぱ「和」だな。
子どもの頃、和菓子なんて見向きもしなかった。尤も有名店の茶席に出されるような和菓子なんて出会うチャンスは皆無で、量産された饅頭や大福や団子が「和菓子」だと思っていた。そして大概そういうあんこは飲み物で流し込むしかなかった。子どもにはケーキの方が同じ量産物でもウレシかったのだ。
だんだんとお年を召して、和菓子の美味しさに漸く頭脳が追いついたようだ。粋を凝らし職人の技術の総力を賭けたものは本当にスゴイがなかなか日頃接することはない。でも、菓子で季節を感じさせる、小さな個人経営の和菓子屋さんで自分用に求める和菓子は、店先で眺めている時点で既に幸せになる──もちろん舌にのせて胃袋に消えるまでそのシアワセは続くのだが…。
そんな和菓子屋が危機的だ、というネットニュースを目にした。決定打は例によってコロナ禍なのだけど、業界の特質のようなものが時代に取り残されてきたのだとその記事は綴る。先日コンサルタントをしている若いお父さんが「どのような時代でも会社が存在し続けることを願うのは本当にごく少数の経営者だ」と話しておられたのだが、それはどういう業界にあってもたぶん同じなのだろうと思った。グローバルな会社でも町の和菓子屋でも。
そしてキリスト教会もまた──キリスト教会こそ? 。時代に取り残されるのは別に構わないのだけどね。生き残れるかなぁ。