先日、幼稚園の職員室で、色画用紙を数える数え方を巡っておもしろい出来事があった。
新人のAさんは机に紙を置いて一枚ずつめくって数えていたのだが、先輩になったBさんは紙の束を手に取り、ずらしてから数え始めた。Aさんはそういう数え方をしたことが無いと。
それを後から聞いてわたしも考えた。当然のように紙の束をずらして数える数え方をわたしは一体いつ頃憶えただろうか、と。
子どもの頃、公務員にボーナスが支給されたというニュースがテレビで流れるときには必ず銀行員(それも決まって制服の女性行員)が扇のように広げたお札を数える場面だった。小学校でクラスの刷り物を手渡す当番をする頃におそらく紙の数え方を憶えたのだと思うが、銀行でのお札の数え方が頭のどこかに刷り込まれていたことは間違いない。お札といえば左手の指の間に挟んでねじった束を右手で数え、最後にパチンと指を鳴らすのもカッコいいなぁと見ていた記憶がある。どうやらわたしは「紙を数える=お札を数える」という記憶のチェーンを持っているようだ。
そこから考えると、最近頓に「現金」を見なくなっていることに気づいた。数年前まで川崎では職員給与を現金で支給していたので、その日園長はお札やコインを数えていたが、振込になってからはパソコンのキーを叩くだけ。そして今日現在も私の財布にはほとんど現金はない。ここ2〜3年でほぼすべてキャッシュレス決済に慣れてきて、現金を扱うのは決まって週に1回礼拝献金を捧げるときだけになりつつある。ATMは振込にしか使わないしボーナス支給のニュースも銀行のシーンは見なくなった。
お金という概念が急速に変化しているのかもしれない。単なる記号と化している。右から左にデータという記号が猛スピードで行き来しているイメージ。
そのうち礼拝中にもバーコード端末が行き来して「ワ○〜ン!」だとか「ペィ○ィ!」だとかの音が飛び交いそうだなぁ。