第70回卒園式が麗らかで心地よいお天気のもと行われた。
卒園生は17名。教師が前日子どもたちに「明日みんな揃うと良いなぁ」と伝えたらしい。子どもたちはそれに対して「わたしたちは本番に強いからお休みナシになるよ」と返した。言葉通り欠席なしの全員参加、加えて本番の強さを遺憾なく発揮し、「思い出」の言葉も「うたよありがとう」の歌も、どの練習よりもいちばんよく出来ていた。子どもたちの芯の強さ、あるいは子どもなりの決意の表れでもあろう。それが出来る──つまり互いを受け入れ合える──チームに育っていることが嬉しかった。
これまで3つの幼稚園を経験してきた。神学校を卒業して3年目に初めての幼稚園を、19年目に二つ目を、32年目に三つ目をということになる。今でも30年前最初の幼稚園で最初に卒園していった子どもたちのことを覚えている。彼女ら彼らも35〜6歳という計算。もう2世たちの親として卒園式に臨んでいるかも知れない。ばったり出会っても認識できないだろうなぁ。
一番最初に卒園させた子どもたちがいちばん大人びて見えて、年を経るごとに幼く思えてくるのが不思議。インパクトの差だろうか。だがそれは私が相手を時々見誤っているということの現れでもある。「園長」などと偉そうに言ってもそんなモノ。目の前のひとりを正しく尊い者と理解する道はまだまだ険しい。そして残念ながらそれは対子どもに限ったことではないのだ。
人はありのままに見るのではなく、見たいように見るという。いつでも「自分」の思いが優先するということだろう。相手を自分の枠に嵌めるということでもある。その枠の中で相手を理解し、その枠の中で相手を発見する。言うなれば「発見」とは「自分」の想定の中で起こることに過ぎない。
だけど時々その「発見」が自分を激しく揺さぶることがある。その激しさで「自分」が変化せざるを得なくなるような。本来の「発見」とはそういうモノなのだと思うけどね。なかなか…。