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2022
13Mar

四谷快談 No.50 卒園の週に

  • 四谷快談

 幼稚園は今週16日(水)卒園式を迎える。コロナ禍ゆえに今年も卒園生と家族のみの参列。幼稚園に残る年少・年中組が「贈る言葉」と「送る歌」を練習したが、残念ながら卒園式本番では生で披露できない。10日の全体練習で披露したのだった。

 ところで、幼稚園は教育機関だ。幼稚園ももちろん「保育」をするのだが保育所ではない。この違いが世間には良く伝わっていない気がする。所管が違う行政はさすがに良くわかっているのだろうが、政治家の中にいかにもわかっていないふうの人ばかり目立つ。そういう人たちが法律を作るのだぞ。いかがなものか。

 内田樹さんの「困難な成熟」という本を読んで、目からうろこが落ちる経験をした。こうある。「「おせっかい」というのは言い換えると「身銭を切る」ということです。「お代を下されば、それと等価の商品を差し上げます」じゃありません。「とりあえずお代は要らないから、来てわたしの話を聴いてくれ」ということです。そこからしか教育は始まりません。」(株式会社夜間飛行 2015年9月)。

 身銭を切って話を聞いてもらうことが「教育」なのだという視点。そこにニーズがあるかどうかは2の次3の次だというのだ。

 関わっている三つの幼稚園で新年度の園児募集が定員に満たないという話を聞いた。知り合いのところも含めると、私の知る限りという限定つきではあるが、ほぼ100%定員割れ。内田さんではないが、「こういうことをやりますから聞きに来てください」というアピールの手段をコロナによって奪われた幼児教育は見限られ、代わりに保育サービスに人気が集中していると言うことだろう。「市場のニーズが」とか「集客力のあるコンテンツ」を持てと。「幼児におせっかいは不要」ということか。

 だが言うまでもなく人はひとりでは生きられない。どんな時代になってもそれは変わらない。であれば「よりよく生きる」ということ、人と人とが心地よく暮らしてゆく方法こそ永遠のニーズだ。それこそ教育の「集客力のあるコンテンツ」ではないか。

「荒れ野は」滝澤 貢牧師

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