1年前新宿区役所に住民票を移動した折、せっかくだから四谷まで歩こうと思った。40〜50分程度なら良い散歩道だ。
しばらく歩くと、未だ住居表示は「新宿」なのに、ビルや会社の名前に「四谷」と付いたものが多くあった。四谷ってずいぶんメジャーな地名なのかな、なんて思った。
今年に入って年長組が小学校訪問をするという。「四谷小と第六小です」と。聞くと小学校は二つだけ。一挙に興味がわく。第二・三・四・五小学校もあったのだろうか。あった。第七までも。
そういえば四ツ谷駅前のタワービル「コモレ四谷」の庭に「第三小学校跡地」という案内板を見た。調べてみると複雑な歴史を辿る。第一小が閉校し第三小と合併、後に第四小学校(校舎が現存し今「四谷ひろば」という地域ひろばが運営されている)が同意して三校が合併し、第一小跡地に「四谷小学校」が開校。第五小学校(も校舎が現存し新宿区役所第二庁舎と吉本興業が入っているという)が第七小学校と合併して七小跡に花園小学校となった。残るは第二小学校。これはJR信濃町駅と東京メトロ四谷三丁目駅の間にある「左門町公園」がその跡地。太平洋戦争末期の空襲で焼け落ち、戦後再建されなかったのだ。
考えてみるとずいぶん広い地域が「四谷第○小学校」と名乗っていたことになる。それはもともと東京府東京市に「四谷区」が1878年から1947年まであったから。なるほど新宿3丁目辺りに「四谷」と名乗るものがたくさんあるのも合点がいく。四谷区は隣接する淀橋区・牛込区と合併して新宿区となった。
残念ながらこのコロナ禍で、年長組の小学校訪問は中止となった。今年卒園生17名の大半は四谷小学校に進学する。
こうやって改めて調べてみると、メトロ四ツ谷駅と四谷3丁目駅の狭い地域に第一第三第四第六と四つの小学校があったことになる。子どもも、人口も多かったのだなぁ。今は閑静な住宅街と呼ぶに相応しい静けさだけどね、とは移住一年記念の感慨。