四谷新生教会は1951年1月28日に礼拝堂の献堂式を行った。この日を教会創立記念日としている。それから数えて今日23日は71年目の創立記念礼拝となる。
しかしこの教会には二つのルーツがあって、春日町教会と田村町教会(インマヌエル教会とベタニヤ教会)が共に戦争によって礼拝堂を焼失し、戦後の混乱の中でこの場所に再結集したのだ。
日本基督教団は1941年に宗教団体法によってプロテスタント諸派が合同して始まった。宗教団体法の目的は単純に言えば宗教をして戦争に協力させることであった。1945年に日本の敗戦が決定的になって、8月15日にいわゆる「終戦の詔勅」が発表されもはや宗教団体法の目的は断たれてしまったわけだが、その後も日本基督教団は残り続けた。尤も合同は常に問題をはらみ続けるもので、四谷新生教会に近いところでは、1945年に旧西部組合系の16教会が教団を離れて「日本バプテスト連盟」を、1958年にアメリカン・バプテスト系の諸教会の一部が「日本バプテスト同盟」を結成した。しかし四谷はその渦中に、日本基督教団という合同教会に立ち続けることを敢えて選び取ったのだった(と言えなくもない…ま、ちょっと、その…)。
春日町教会も田村町教会もそれぞれ幼児教育事業を行っていた長い歴史があったのだが、これまた戦争への協力のために閉園を命じられ1944年頃までには歴史を閉じていた。純粋に地域への奉仕もさることながら、教会自立のための手段でもあったようだ。そして今会堂の建つこの場所は頌栄保育専門学校の前身の保母伝習所と幼稚園があったが、小石川にあった東京バプテスト女子寮との間で建物の交換(1909年から1911年の間のこと)が行われたのだった。その場所に教会が建ち、翌年には幼稚園が始められたという。
さぁそこから今日まで数々の奇跡にわたしたちは直面するのだが……丁度紙面が尽きました。