先日ちょっと折りを得て東京を2時間半ほど離れた場所に出かけた。時節柄避暑を狙ったけど、今の日本、普通の人が普通に行ける場所はどこも涼しくなんてない。五輪の競歩やマラソンを避暑させたけど、行った先が東京より暑かったって、まるでコントか何かみたいだよね。 暑さは避けられなかったのだが、代わりに得たものは「時間」だった。ゆったりと流れる時間。 東京都心に引っ越したときから車を使わない生活に入った。必要に迫られて手放したのだけど、使わない生活の方がスタンダードになってみると、以前どうしてあんなに「時間」を詰め込んでいたのだろうと呆れてしまったのだ。 例えば今回のような場合、目的地に着くまでにあそこにもここにも寄ろうとするに違いない。せっかく行くのだからできるだけいろんなところに立ち寄りたい。まして高速道路なんて誘惑の場所がきちんと計画的に置かれているし。なのに、車の移動を最初から考えられない今、目的地は限られる分、そこで過ごす時間がとてもゆったり出来ることにやっと気づいたわけ。しかも行く先が緑豊か(それしかない?)な場所であればなおさら。これでもずいぶん「ゆったり」を取り戻してはいたのだけれど、やはり時間の流れは都心のそれとはかけ離れていた。 それでも今はとてつもなく便利な時代で、携帯電話ひとつでなんでも調べられ確かめられる。3~4分に一本電車が来るなんて場所ではないので、次の時間の確認は大切なのだけど、人が歩く・活動する・動く時間と列車のダイヤが絶妙にシンクロして全く不自由を感じなかった。その分ゆったり出来たわけだ。さらに予期せぬ出会いまでもあって…。 せっかくそういう体験を得たのだからこれからの生活に少しは反映させよう。今日から「忙しい」という言葉と絶縁します。サボるわけじゃないよ。その言葉を使わない決心。by3日牧師。
2021
08Aug