Twitterに掲載された漫画に考えさせられた。
保育園に通うお子さん。遠足が中止になってしまった。そのことをいつどう伝えるか悩む母。きっと「どうして、ヤダヤダ」があるだろうと。ところが子どもの反応は「ふ〜ん、わかった」って。「楽しみが一方的にうばわれることに慣れてほしくなんてない」「こんな小さい子がワクワクする気持ちにブレーキかけなくていいのに」「期待や希望を持つ機会さえうばっている」「泣いてくれた方がまだ良いよ…」と綴られている。
子どもは周囲に順応する。その能力たるや目を瞠る。だけど、それは必ずしも「良い」事ではないかも知れない。コロナウィルスの蔓延によって、出来ていたことが出来なくなった。だがそれは一定の経験を経てきた大人の論理。子どもにとっては「出来ていた」ものなんて無い。全部が「これから」経験するはずだった。そしてわたしたちは子どもからその機会を奪った。期待を裏切った、いやそれ以上に、期待することを奪ってしまったのだ。
作者はこう記している。「運動会や遠足など楽しみな行事がなくなっていくのはもちろん悲しいのですが、それよりも、「楽しみにしている気持ち」自体を裏切っているのが大人としてやるせないなあと思いました。」。
「しょうがないじゃん、ウィルスだよ、目に見えないんだから。」。肯定する気持ちなら次々に浮かぶ。だが、状況に闘いもせず負けて、チャレンジする気持ちさえ失ったこの1年半だったのではないか。全てを目に見えないウィルスのせいにして、ひたすらやり過ごそうとしてきただけなんじゃないか。
思いがどす黒く渦巻く。いつどこでこの堰が切れるのだろう。そうなったとき、一体何が起こるのだろう。