列王上18:20−39/ヘブライ7:11−28/マタイ6:1−15/詩編95:1−11
「あなたがたの父は、願う前から、あなたがたに必要なものをご存じなのだ。」(マタイ6:8)
こどもさんびかに、ピンク色の表紙の「2」が登場したのは1983年でした。それまでの「こどもさんびか」が出たのは1966年でしたので、今思うとずいぶん古いものでした。
その後黄色い表紙の「1」とピンクの表紙の「2」は合本になって青い表紙になりました。1987年です。さらにそれが2002年に改訂されて「こどもさんびか改訂版」となります。
そのピンクの表紙の「こどもさんびか2」でわたしには大きな衝撃となった歌がありました。当時の番号でいうと「103番」です。この歌は改訂版でも生き残り58番になりました。しかも、1997年に43年ぶりに新しくなった「讃美歌21」にも取り入れられて、そこでは60番になっています。「どんなにちいさいことりでも」という讃美歌です。
どうしてこの讃美歌に衝撃を受けたのかというと、この3節の言葉でした。「よい子になれないわたしでも 神さまは愛してくださるって、イェスさまのおことば」。
それまでのこどもさんびかですと、例えば「きよいあさあけて」では「この日こそ強い神の子にしてください」「この日こそ清い神の子にしてください」と歌われ、「けさもわたしの」では「神さま今日も御心を行う日にしてください」と。人気のあった「ことりたちは」では「悪いことはちいさくてもお嫌いなさる神さま」というのが主流だったのです。わたしの母は教会から2キロほど離れた我が家に子どもたちを集めて土曜日に教会学校を開いていました。出席するのはわたしの同級生とか仲間たちで。わたしはそれがイヤでイヤでしょうがなかった。中学になると部活動で土曜日も早朝から遅くまで学校に居られたので、とても嬉しかった。土曜日の家には帰りたくなかったんですね。自分が「よい子」ではないし、「よい子」になれそうにもない。何も出来ないのに「清い神の子に」だの「御心を行う日」だの、もう放っといてと叫びたい気持ちでした。そういうところに「よい子になれないわたしでも」。だからこの歌詞はとても衝撃的だったのです。
余談ですけど、四谷新生幼稚園の4月の讃美歌は「ちいさいおててを」でした。「神さまよい子にしてください」ですよ、参ったね。
でもね、今はわかります。子どもたちはだれも「悪い子」になりたいとは思っていない。みんな「よい子」になりたいんですよ。その思いは真剣でしょう。
イエスが病気の人を癒す場面は福音書に何度も出て来ますが、イエスは決して無言で癒したりはしません。病気の人に向かって「直りたいのか」とか聞くんですよ。いやイエスさま、当たり前でしょ。この人は病人なんですよ、直りたいに決まってる。でもイエスはちゃんとその人の意思を確かめるんです。誰も、大人だって「悪い子」になりたい人はいない。みんな「よい子」になりたかった。でも、様々なことが障壁になって、願ったとおりの道を歩むことは難しかった。好き好んで病気になったわけじゃない。なのに「病気になるということは悪いことをしていたからだ」とか、「おまえは神さまに愛されていない」、だとか言われ続けて、いつの間にか自分でも自分のことを罪人だと思い続けて、そう言い聞かせてきた。自分で道を閉ざしてきたのです。だからイエスはその病人を、尊厳を持った一人の人として相手にする。「直りたいのか」と。そういう言葉を長いこと聞いたことはなかったんです。そんなふうに相手にしてくれたことなんて、長いこと経験がなかったのです。だから真剣に「直りたい」と応える。「よい子にしてください」と祈る。歌う。そういうことなんですよね。
「あなたがたの父は、願う前から、あなたがたに必要なものをご存じなのだ。」とイエスは言います。神さまはすべてわかってくれているのだ、と。わたしの思いも、ねじ曲がっているところも、素直なところも、斜に構えていることも、全部わかった上で、しかし一人の尊厳を持った人間として、わたしに接してくださるんですね。だからわたしたちは神さまに信頼して良いのです。すべてわかっている神さまになら祈らなくても良いのでは? と思ってしまいそうですが、そうではない。わたしを神さまに差し出す、明け渡す。それが神を信頼して生きる者の祈りです。
祈ります。
すべての者の救い主イエスさま。あなたは、神さまがわたしの全てを既にご存じであることを教えてくださいました。そしてその上で、だからこそ、神さまに信頼して祈れと、わたしたちに祈りを示してくださいました。それゆえわたしたちも、神さまにわたしを差し出し、明け渡します。どうぞ御心のままに用いてください。復活の主イエス・キリストの御名によって、まことの神さまに祈ります。アーメン。